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にしきいちば錦市場
京都の人たちには「にしき」の呼び名で親しまれる錦市場。約400年前に開設されたといわれています。
錦小路通(にしきこうじどおり)のうち寺町通(てらまちどおり)から高倉通(たかくらどおり)までの約400メートルの両側に130軒あまりのお店がぎっしり並んでいます。京料理の料亭や割烹だけでなく、おばんざいと言われる京都の家庭料理にも使われる新鮮な野菜、魚など旬の食材が一堂に集まってきます。京都独特の食文化にふれるのは他の場所では味わえない魅力です。近年は京都ならではのグルメやスイーツなどを取り扱う店舗も増え、幅広い層が楽しめるスポットになっています。なお、「食べながら市場の中を歩くことは、ご遠慮いただいております。」とのことなので「買ったお店の前で食べる」「お店の中で食べる」を守りましょう。
更新日:2023年11月17日
- URL: https://www.kyoto-nishiki.or.jp/
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京都の人たちには「にしき」の呼び名で親しまれる錦市場。約400年前に開設されたといわれています。
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更新日 : 2023年11月17日
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もとりきゅうにじょうじょう元離宮二条城
1603年に徳川家康が造った城です。3代将軍家光が伏見城の遺構を移すなどして、現在のような大きさになりました。東西約600メートル、南北約400メートルの広さで、堀に囲まれています。京都御所の守護と将軍が京都へ来たときの宿泊所として造られました。徳川慶喜(よしのぶ)が大政奉還の意思を表明したのもここです。二の丸御殿(国宝)は武家風書院造りの代表的な建物。狩野(かのう)一門が描いた障壁画「松鷹図(まつたかず)」が有名です。平成6年には世界文化遺産(せかいぶんかいさん)に登録されました。
更新日:2022年8月30日
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1603年に徳川家康が造った城です。3代将軍家光が伏見城の遺構を移すなどして、現在のような大きさになりました。東西約600 …[続きを読む]
更新日 : 2022年8月30日
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むりんあん無鄰菴
明治・大正の元老(げんろう=明治後期から昭和初期にかけて、天皇を補佐した政界の最高首脳)・山県有朋(やまがたありとも)が明治中期に京都に造った別荘です。庭園は山県自らが設計、有名な造園家・7代目小川治兵衛(じへい)によって作庭されました。疏水の水を巧みに取り入れ、東山の借景をいかした庭園は、ゆったりした気分にひたれます。昭和26年国の「名勝」に指定されました。洋館は、伊藤博文らによる日露戦争開戦直前の「無鄰菴会議」が開かれたことで知られます。
更新日:2019年4月1日
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明治・大正の元老(げんろう=明治後期から昭和初期にかけて、天皇を補佐した政界の最高首脳)・山県有朋(やまがたありとも)が明 …[続きを読む]
更新日 : 2019年4月1日
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らいさんようしょさいさんしすいめいしょ頼山陽書斎山紫水明處
鴨川のたもとに生垣に囲まれたかやぶきの民家が見えます。江戸時代後期に学者や詩人として活躍した頼山陽が、晩年この地に住まいを構え、敷地内に建てた書斎です。ここから見える東山の山並みの美しさと、前を流れる鴨川の清らかさを「山紫水明」と言い表して書斎の名にしました。山陽は、文人などと幅広い交友関係を持ち、サロンのような場所となりました。有名な歴史書の「日本外史(にほんがいし)」はこの書斎で執筆されました。
更新日:2016年6月29日
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鴨川のたもとに生垣に囲まれたかやぶきの民家が見えます。江戸時代後期に学者や詩人として活躍した頼山陽が、晩年この地に住まいを …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月29日
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おおこうちさんそう大河内山荘
百人一首で知られる小倉山のふもとに映画俳優の故大河内伝次郎(でんじろう)が、自らの好みで、30年の歳月をかっけて造った庭園です。伝次郎は時代劇の丹下左膳の役で大スターになりました。といっても、みんなのおじいさんやおばあさんぐらいしか知ってる人は少ないでしょう。約2万平方メートルの広大な敷地に松や桜、モミジの木々が植えられ、四季折々の自然を楽しませてくれます。比叡山を望み、眼下に京都市内を眺望できる庭に書院、茶室、石仏があります。
更新日:2016年6月29日
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百人一首で知られる小倉山のふもとに映画俳優の故大河内伝次郎(でんじろう)が、自らの好みで、30年の歳月をかっけて造った庭園 …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月29日
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らくししゃ落柿舎
俳句で有名な松尾芭蕉(まつおばしょう)の弟子・向井去来(むかいきょらい)の別宅だった建物です。ひなびたかやぶき屋根のこぢんまりとした住まいは、素朴という表現がぴったり。ある秋、去来が庭の柿の木になっている実を商人に売る約束をしましたが、その夜のうちに大風ですべて落ちてしまいました。そこから「落柿舎」と名付けられたそうです。俳句を作って入れる箱もありますので、去来に代わって一句詠んでみては?
更新日:2016年6月29日
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俳句で有名な松尾芭蕉(まつおばしょう)の弟子・向井去来(むかいきょらい)の別宅だった建物です。ひなびたかやぶき屋根のこぢん …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月29日
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さがのかんこうてつどう嵯峨野観光鉄道
廃止になった旧JR山陰線の嵯峨野から馬堀駅(亀岡市)間の線路を、観光用に活用するため平成3年4月に開業。レトロな車両の通称「嵯峨野トロッコ列車」は、トッロコ嵯峨駅と亀岡駅の約7・3キロを25分で運行します。車窓から眺める保津峡の渓谷美は、春は桜、初夏は新緑、夏は谷を渡る川風、秋は真っ赤な紅葉と四季折々の顔を見せてくれます。嵯峨野散策には嵐山駅、ハイキングなど自然散策には保津峡駅で下車もできます。
更新日:2009年3月27日
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廃止になった旧JR山陰線の嵯峨野から馬堀駅(亀岡市)間の線路を、観光用に活用するため平成3年4月に開業。レトロな車両の通称 …[続きを読む]
更新日 : 2009年3月27日
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ほづがわくだり保津川下り
約400年前、角倉了以(すみのくらりょうい)が保津川を開き、丹波(京都市北隣り)の産物を運ぶ水路にしたことが始まりです。出発点は亀岡で、嵯峨嵐山までの区間、16キロの保津峡(ほづきょう=桂川)を約2時間かけて船下りしていきます。狭い川幅と浅い川底の急流を、竿(さお)と櫂(かい)、船尾の舵(かじ)で巧みに船を操り、奇岩、怪石をうねるように下るスリル満点の観光船です。途中では、春は渓谷(けいこく)に桜が咲き誇り、新緑の頃には岩に張り付くように咲く赤いつつじが彩りを添え、秋には川面(かわも)に映える真っ赤なモミジが色づいていきます。
更新日:2009年3月27日
- TEL: 0771-22-5846
- FAX: 0771-25-1550
- URL: http://www.hozugawakudari.jp/index.html
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約400年前、角倉了以(すみのくらりょうい)が保津川を開き、丹波(京都市北隣り)の産物を運ぶ水路にしたことが始まりです。出 …[続きを読む]
更新日 : 2009年3月27日
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みぶかいわい壬生界わい
古くから湧き水が多く水生(みぶ)と書かれたこともありました。昔は京都近郊の農村地帯で、京の伝統野菜の壬生菜(みぶな)の生産地でした。壬生大念仏狂言で有名な壬生寺もこの地域にあります。幕末には新選組(しんせんぐみ)の屯所(とんしょ)が置かれ、近藤勇(こんどういさみ)や土方歳三(ひじかたとしぞう)らがここを拠点に京の町に出かけて勤皇(きんのう)の志士と戦いました。屯所跡の八木邸が公開されており、刀傷の残る部屋などが見学できます。
更新日:2007年4月6日
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古くから湧き水が多く水生(みぶ)と書かれたこともありました。昔は京都近郊の農村地帯で、京の伝統野菜の壬生菜(みぶな)の生産 …[続きを読む]
更新日 : 2007年4月6日
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みなみざ南座
四条大橋東詰めにある南座は、建物は何度も建て替えられていますが、桃山風破風(ももやまふうはふ)造りの建物で、国の重要文化財に指定されている日本最古の劇場といえます。出雲阿国(いずものおくに)が鴨川の四条河原で始めた「かぶき踊り」は、人々の人気が高まるにつれ常設の芝居小屋で演じられるようになり、江戸初期には7つの芝居小屋で上演されていました。幕末には北座と南座が残り、明治中期には現在の南座だけが歌舞伎興行の場となりました。毎年12月に顔見世興行が開かれ、役者の名前を勘亭流(かんていりゅう)の書体で書いた看板「まねき」は京の冬の風物詩になっています。
更新日:2007年3月15日
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四条大橋東詰めにある南座は、建物は何度も建て替えられていますが、桃山風破風(ももやまふうはふ)造りの建物で、国の重要文化財 …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日