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らくししゃ落柿舎
俳句で有名な松尾芭蕉(まつおばしょう)の弟子・向井去来(むかいきょらい)の別宅だった建物です。ひなびたかやぶき屋根のこぢんまりとした住まいは、素朴という表現がぴったり。ある秋、去来が庭の柿の木になっている実を商人に売る約束をしましたが、その夜のうちに大風ですべて落ちてしまいました。そこから「落柿舎」と名付けられたそうです。俳句を作って入れる箱もありますので、去来に代わって一句詠んでみては?
更新日:2016年6月29日
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俳句で有名な松尾芭蕉(まつおばしょう)の弟子・向井去来(むかいきょらい)の別宅だった建物です。ひなびたかやぶき屋根のこぢん …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月29日
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らいさんようしょさいさんしすいめいしょ頼山陽書斎山紫水明處
鴨川のたもとに生垣に囲まれたかやぶきの民家が見えます。江戸時代後期に学者や詩人として活躍した頼山陽が、晩年この地に住まいを構え、敷地内に建てた書斎です。ここから見える東山の山並みの美しさと、前を流れる鴨川の清らかさを「山紫水明」と言い表して書斎の名にしました。山陽は、文人などと幅広い交友関係を持ち、サロンのような場所となりました。有名な歴史書の「日本外史(にほんがいし)」はこの書斎で執筆されました。
更新日:2016年6月29日
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鴨川のたもとに生垣に囲まれたかやぶきの民家が見えます。江戸時代後期に学者や詩人として活躍した頼山陽が、晩年この地に住まいを …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月29日
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もとりきゅうにじょうじょう元離宮二条城
1603年に徳川家康が造った城です。3代将軍家光が伏見城の遺構を移すなどして、現在のような大きさになりました。東西約600メートル、南北約400メートルの広さで、堀に囲まれています。京都御所の守護と将軍が京都へ来たときの宿泊所として造られました。徳川慶喜(よしのぶ)が大政奉還の意思を表明したのもここです。二の丸御殿(国宝)は武家風書院造りの代表的な建物。狩野(かのう)一門が描いた障壁画「松鷹図(まつたかず)」が有名です。平成6年には世界文化遺産(せかいぶんかいさん)に登録されました。
更新日:2022年8月30日
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1603年に徳川家康が造った城です。3代将軍家光が伏見城の遺構を移すなどして、現在のような大きさになりました。東西約600 …[続きを読む]
更新日 : 2022年8月30日
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むりんあん無鄰菴
明治・大正の元老(げんろう=明治後期から昭和初期にかけて、天皇を補佐した政界の最高首脳)・山県有朋(やまがたありとも)が明治中期に京都に造った別荘です。庭園は山県自らが設計、有名な造園家・7代目小川治兵衛(じへい)によって作庭されました。疏水の水を巧みに取り入れ、東山の借景をいかした庭園は、ゆったりした気分にひたれます。昭和26年国の「名勝」に指定されました。洋館は、伊藤博文らによる日露戦争開戦直前の「無鄰菴会議」が開かれたことで知られます。
更新日:2019年4月1日
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明治・大正の元老(げんろう=明治後期から昭和初期にかけて、天皇を補佐した政界の最高首脳)・山県有朋(やまがたありとも)が明 …[続きを読む]
更新日 : 2019年4月1日
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みぶかいわい壬生界わい
古くから湧き水が多く水生(みぶ)と書かれたこともありました。昔は京都近郊の農村地帯で、京の伝統野菜の壬生菜(みぶな)の生産地でした。壬生大念仏狂言で有名な壬生寺もこの地域にあります。幕末には新選組(しんせんぐみ)の屯所(とんしょ)が置かれ、近藤勇(こんどういさみ)や土方歳三(ひじかたとしぞう)らがここを拠点に京の町に出かけて勤皇(きんのう)の志士と戦いました。屯所跡の八木邸が公開されており、刀傷の残る部屋などが見学できます。
更新日:2007年4月6日
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古くから湧き水が多く水生(みぶ)と書かれたこともありました。昔は京都近郊の農村地帯で、京の伝統野菜の壬生菜(みぶな)の生産 …[続きを読む]
更新日 : 2007年4月6日
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みなみざ南座
四条大橋東詰めにある南座は、建物は何度も建て替えられていますが、桃山風破風(ももやまふうはふ)造りの建物で、国の重要文化財に指定されている日本最古の劇場といえます。出雲阿国(いずものおくに)が鴨川の四条河原で始めた「かぶき踊り」は、人々の人気が高まるにつれ常設の芝居小屋で演じられるようになり、江戸初期には7つの芝居小屋で上演されていました。幕末には北座と南座が残り、明治中期には現在の南座だけが歌舞伎興行の場となりました。毎年12月に顔見世興行が開かれ、役者の名前を勘亭流(かんていりゅう)の書体で書いた看板「まねき」は京の冬の風物詩になっています。
更新日:2007年3月15日
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四条大橋東詰めにある南座は、建物は何度も建て替えられていますが、桃山風破風(ももやまふうはふ)造りの建物で、国の重要文化財 …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日
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みぞろがいけ深泥池
都会の中に、地球が氷河期だった約2万年も前の生物が生き残っている池があるなんて信じられますか周囲約1・5キロ、水深は最も深いところでも2メートル。その池の3分の1を占める浮島が、氷河期以来の貴重な水生植物の命を今日まで守ってきたのです。島はミズゴケなど植物が腐敗せず、長い間積もってできました。世界でただ一種の水生グモも生息しています。この池の生物群集は国の天然記念物に指定されています。どんな植物が自生しているのか、自分の目で確かめてください。
更新日:2007年3月15日
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更新日 : 2007年3月15日
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まるやまこうえん円山公園
なだらかな東山をバックに、京都では一番古い公園です。池や庭園、たくさんの木があり、広さは10万平方メートル。八坂(やさか)神社や知恩院(ちおんいん)とも隣り合っていて、のんびりと散歩に訪れる人がたくさんいます。一年中で一番華やかなのはサクラの時。いま2代目のシダレザクラは70才を超えていますが、大きくて美しく、夜にはかがり火をたいて、眺めます。「祇園(ぎおん)の夜桜(よざくら)」といわれ、京都の春の一番の見どころです。
更新日:2007年3月15日
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更新日 : 2007年3月15日
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ほづがわくだり保津川下り
約400年前、角倉了以(すみのくらりょうい)が保津川を開き、丹波(京都市北隣り)の産物を運ぶ水路にしたことが始まりです。出発点は亀岡で、嵯峨嵐山までの区間、16キロの保津峡(ほづきょう=桂川)を約2時間かけて船下りしていきます。狭い川幅と浅い川底の急流を、竿(さお)と櫂(かい)、船尾の舵(かじ)で巧みに船を操り、奇岩、怪石をうねるように下るスリル満点の観光船です。途中では、春は渓谷(けいこく)に桜が咲き誇り、新緑の頃には岩に張り付くように咲く赤いつつじが彩りを添え、秋には川面(かわも)に映える真っ赤なモミジが色づいていきます。
更新日:2009年3月27日
- TEL: 0771-22-5846
- FAX: 0771-25-1550
- URL: http://www.hozugawakudari.jp/index.html
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約400年前、角倉了以(すみのくらりょうい)が保津川を開き、丹波(京都市北隣り)の産物を運ぶ水路にしたことが始まりです。出 …[続きを読む]
更新日 : 2009年3月27日
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ふしみのさかぐら伏見の酒蔵
伏見で酒造りが盛んになったのは豊臣秀吉が伏見城を築き、城下町を造ってからです。江戸初期に角倉了以(すみのくらりょうい)が高瀬川を開き、水運が盛んになった結果、伏見は港町、宿場町として発展しました。それとともに地下水でおいしい水に恵まれた伏見の酒も栄え、全国に流通していきました。その後、衰退した時期もありましたが明治になってびん詰めの酒がヒットして今日に至っています。伏見の町には酒蔵を活用した資料館があり、酒造りの工程や歴史を見ることができます。
更新日:2007年3月15日
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伏見で酒造りが盛んになったのは豊臣秀吉が伏見城を築き、城下町を造ってからです。江戸初期に角倉了以(すみのくらりょうい)が高 …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日