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しじょうかわらまちかいわい四条河原町界わい
京都で一番にぎわう繁華街。百貨店やファッション専門店、飲食店、映画館などが集まり、老舗(しにせ)と新しいおしゃれな店が同居している一帯です。近くには修学旅行生のメッカといわれる新京極(しんきょうごく)や、京の台所と呼ばれる錦市場(にしきいちば)もあり買い物が楽しめます。また大手私鉄駅が二つと、市バスの系統も多く集まり、交通のターミナル拠点にもなっています。祇園祭の山鉾(やまほこ)はこの四条通と河原町通を巡行、交差点で豪快(ごうかい)な辻回(つじまわ)しが行われます。
更新日:2007年3月15日
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更新日 : 2007年3月15日
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たかせがわ・いちのふないり高瀬川・一ノ船入
高瀬川は江戸時代のはじめ角倉了以(すみのくらりょうい)が大阪との物資輸送のため開いた運河です。江戸時代から大正時代までこの川を使っての「高瀬船(たかせぶね)」が物を運ぶのに大活躍していました。今でも木屋町二条(きやまちにじょう)に「一之船入(いちのふないり)」と呼ばれる荷物の揚げ降ろし場が残っていて、そこには船の模型が飾られ、浅い川に合うように船底が平らにできているのがよく分かります。今は静かな高瀬川の風景ですが、かつてのにぎわいを想像しながら歩いてみましょう。この川を舞台にした森鴎外(もりおおがい)の小説『高瀬舟』も有名です。
更新日:2007年3月15日
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高瀬川は江戸時代のはじめ角倉了以(すみのくらりょうい)が大阪との物資輸送のため開いた運河です。江戸時代から大正時代までこの …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日
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ただすのもり糺の森
糺の森は世界文化遺産、下鴨神社の森で、賀茂川(かもがわ)と高野川(たかのがわ)が合流する三角地帯にうっそうと茂る森です。東京ドームのおよそ3倍の広さがあります。昔、京都に都がうつされる前、この辺りは湖と森林に覆われていました。ここは、その時代の木が残っている貴重な森です。ケヤキ、エノキ、シイ、ムクなど40種ほどの大きな木がおよそ4700本生えています。昆虫や野鳥、キノコの宝庫でもあり、たくさんの人が観察にやって来ます。
更新日:2007年3月15日
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糺の森は世界文化遺産、下鴨神社の森で、賀茂川(かもがわ)と高野川(たかのがわ)が合流する三角地帯にうっそうと茂る森です。東 …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日
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だいもんじやま大文字山
京都の町を囲む山に浮んだ火の文字。夏の風物詩の代表といわれる五山の送り火は、お盆の間帰ってきた先祖の霊を送る行事です。8月16日の午後8時から順に火がともされ、その第一番に点火されるのが、東山連峰・大文字山の「大」の字です。この「大文字」が最もよく知られているので、送り火の代名詞にもなっています。大文字山は標高466メートルで、京都市内の小学生は学校行事で1回は登ります。市内からは火床の「大」の字型がくっきりと見え、雪が降れば白い「大」が山に浮かび上ります。
更新日:2007年3月15日
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京都の町を囲む山に浮んだ火の文字。夏の風物詩の代表といわれる五山の送り火は、お盆の間帰ってきた先祖の霊を送る行事です。8月 …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日
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ちよのふるみち千代の古道
右京区の常盤(ときわ)や山越(やまごえ)から嵯峨大覚寺に至る小道です。今から1200年前の平安時代、天皇や貴族が都から嵯峨院(今の大覚寺)へ通った道です。牛車(ぎっしゃ)に揺られ、途中で歌を詠んだりお弁当を広げ、現在の花見やピクニックを楽しむように歩いたことでしょう。そして大覚寺の大沢池や嵐山の大堰(おおい)川で船を浮かべ、雅楽(ががく)を楽しんだそうです。途中に田園風景が広がり、道標もあるので面白い発見があるかもしれませんよ。
更新日:2007年3月15日
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右京区の常盤(ときわ)や山越(やまごえ)から嵯峨大覚寺に至る小道です。今から1200年前の平安時代、天皇や貴族が都から嵯峨 …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日
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てつがくのみち哲学の道
東山のふもとの若王子橋(にゃくおうじばし)から銀閣寺橋(ぎんかくじばし)までの約1.5キロの疏水(そすい)べりの小道のことを哲学の道といいます。疏水(そすい)とは琵琶湖(びわこ)から引かれた水路のことです。西田幾多郎(にしだきたろう)という哲学者がよくこの道を散歩したことからこの名前がついたといわれています。春はサクラの名所として有名ですが、初夏には都会では珍しいホタルの姿も見られます。道沿いには京都らしいおみやげもの屋さんもあり、哲学者でなくてもブラブラと散歩したくなる道です。
更新日:2007年3月15日
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東山のふもとの若王子橋(にゃくおうじばし)から銀閣寺橋(ぎんかくじばし)までの約1.5キロの疏水(そすい)べりの小道のこと …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日
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あらしやま・とげつきょう嵐山・渡月橋
渡月橋の西にそびえる山が嵐山(381メートル)ですが、桂川の両岸一帯を嵐山といいます。春の三船祭(みふねまつり)、秋のもみじ祭は川に船をうかべ、舞楽(ぶがく)などをかなで、夏には、うかい見物、万灯(まんとう)流しなどがあります。嵯峨嵐山の川に架かる全長250メートルの橋が渡月橋(とげつきょう)で嵐山の代表的な名所です。この橋の上流を大堰(おおい)川、下流を桂川と呼んでいます。当初は対岸にある法輪寺に渡るため、法輪寺橋と呼ばれていました。現在の名は、朱塗りの華麗な橋を見た亀山天皇が「満月の渡るに似る」と賞賛して命名したと伝えられます。
更新日:2007年3月15日
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渡月橋の西にそびえる山が嵐山(381メートル)ですが、桂川の両岸一帯を嵐山といいます。春の三船祭(みふねまつり)、秋のもみ …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日
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きょうとぎょえん京都御苑
京都御苑は京都の中心にあり、周囲4キロの大きさ。中には天皇がいた京都御所(ごしょ)、仙洞(せんとう)御所、大宮(おおみや)御所などがあります。明治時代になり、都が東京にうつってから、ここにあった公家(くげ)の屋敷がとりはらわれ、整理されたものです。御苑には蛤御門(はまぐりごもん)を始め、どこからでも自由に入ることができます。京都三大祭のうち、葵祭(あおいまつり)、時代祭の行列はここから出発しています。今ではたくさんの緑や多くの動物、植物が観察できる国民公園として親しまれています。
更新日:2007年3月15日
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京都御苑は京都の中心にあり、周囲4キロの大きさ。中には天皇がいた京都御所(ごしょ)、仙洞(せんとう)御所、大宮(おおみや) …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日
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ごじょうおおはし五条大橋
牛若丸(源義経)と弁慶が橋の上で決闘する場面で知られる橋です。橋の西詰めには御所人形をモチーフにした二人の石像が立っています。文部省唱歌『牛若丸』でも「京の五条の橋の上 大の男の弁慶が・・・」とされていますが本当は? 実は二人が闘ったといわれる当時、五条大橋はもう一つ上流の現在の松原橋あたりに架かっていました。秀吉が方広寺大仏殿を造る際、現在の位置に橋を付け替えたといわれています。
更新日:2007年3月15日
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牛若丸(源義経)と弁慶が橋の上で決闘する場面で知られる橋です。橋の西詰めには御所人形をモチーフにした二人の石像が立っていま …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日
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さがとりいもと嵯峨鳥居本
火よけの神様をまつる愛宕(あたご)神社への参道に沿って造られた町並みです。嵯峨釈迦堂から愛宕神社一之鳥居までの間に、町家やかやぶき民家が嵯峨野の美しい自然に囲まれて連なっています。建物は江戸末期から明治・大正時代にかけてのものが多く、一之鳥居前の茶店は江戸時代の雰囲気を伝えています。途中に嵯峨鳥居本町並み保存館があり、この地域の伝統的な暮らしが分かる資料が展示されていますので立ち寄ってみてください。伝統的建造物群保存地区に指定されています。
更新日:2007年3月15日
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火よけの神様をまつる愛宕(あたご)神社への参道に沿って造られた町並みです。嵯峨釈迦堂から愛宕神社一之鳥居までの間に、町家や …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日