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kokokaきょうとしこくさいこうりゅうかいかんkokoka京都市国際交流会館
京都市制100周年と平安建都1200年を前に、国際都市・京都が国際交流の拠点として開館しました。自由に国際交流をしてもらうための交流ロビーがあります。留学生の人たちもよく利用していますので、外国の人たちと気軽に交流できます。このほか内外の文化を紹介するビデオライブラリー、世界各国の辞書、絵本、新聞、雑誌、地図の閲覧ができる図書資料室を備えています。近くには南禅寺や琵琶湖疏水記念館もあり、散策の後の休憩にも最適です。
更新日:2016年6月29日
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いしべこうじ石塀小路
祇園の下河原通から高台寺の下の道路「ねねの道」へとつながる路地(ろじ)です。小道は、昭和50年代に廃止された京都市電(路面電車)の敷石を使ったという石畳が敷かれ、道の両側に高い石垣が連なっています。まるで石垣の間を歩いているような感じのためか、石塀小路という名がついています。ほんの短い通りですが、いかにも京都らしい風情の料亭や旅館などが立ち並んでいます。最近はおしゃれなレストランや喫茶店、画廊などもでき、打ち水がまかれた石畳をゆっくりと京情緒を感じながら散策できる小路です。
更新日:2007年3月15日
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祇園の下河原通から高台寺の下の道路「ねねの道」へとつながる路地(ろじ)です。小道は、昭和50年代に廃止された京都市電(路面 …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日
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いまくまのかんのんじ今熊野観音寺
皇室の菩提所(ぼだいしょ)で御寺(みてら)と呼ばれる泉涌寺(せんにゅうじ)の塔頭(たっちゅう)で、西国三十三所観音霊場第15番札所です。お年寄りには「ぼけ封じ」、子どもには「子護大師(こまもりだいし)」の信仰で知られ、紅葉が美しい寺です。境内には開祖・弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)ゆかりの井戸「五智水(ごちすい)」が今もこんこんとわいています。
更新日:2016年6月17日
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皇室の菩提所(ぼだいしょ)で御寺(みてら)と呼ばれる泉涌寺(せんにゅうじ)の塔頭(たっちゅう)で、西国三十三所観音霊場第1 …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月17日
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いわやじ岩屋寺
元禄(げんろく)の昔、赤穂(あこう)藩・四十七士の討ち入りで有名な大石内蔵助(くらのすけ)がこの地に隠(かく)れ住んでいたと伝えられることから「大石寺」とも呼ばれます。大石は徳川幕府の監視の目をくらまし、ここからひそかに連絡や指示を出し、江戸で見事、殿様のあだ討ちを果たし庶民の拍手かっさいをあびました。寺には討ち入りに使った槍(やり)などの武具が保存されています。毎年12月14日には、四十七士の姿をして行列する「義士祭」が行われています。
更新日:2009年12月28日
- 〒607-8308 京都市山科区西野山桜馬場町96
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京阪バス「大石神社」下車徒歩8分
- TEL: 075-581-4052
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【時間】9時〜16時半 ※無休
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元禄(げんろく)の昔、赤穂(あこう)藩・四十七士の討ち入りで有名な大石内蔵助(くらのすけ)がこの地に隠(かく)れ住んでいた …[続きを読む]
更新日 : 2009年12月28日
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いんくらいん・すいろかく・びわこそすいインクライン・水路閣・琵琶湖疏水
琵琶湖から引かれた水路のことを琵琶湖疏水といいます。明治時代、この疏水工事のときに水路を分けることになり、南禅寺(なんぜんじ)にも通すことになりました。そこでつくられたのが、この外国風の水路閣(すいろかく)です。お寺にレンガづくりのアーチというとなんだかチグハグな感じですが、まわりの景色を壊さないようにデザインされたというだけあって、歴史的な雰囲気によく合っています。またここから西500メートルにあるインクラインは、高低差のある蹴上(けあげ)と南禅寺の舟だまりを2本のレールで結び、台車の上に船を乗せて運ぶ施設です。これらは、市の重要文化財、国の史跡にも選ばれました。
更新日:2007年3月15日
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更新日 : 2007年3月15日
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えいかんどう永観堂
平安時代に弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)の弟子が建てた寺で、正しい名前は禅林寺(ぜんりんじ)です。永観律師(ようかんりっし)という僧(そう)がこの寺で念仏(ねんぶつ)を広めたことから永観堂と呼ばれるようになりました。「みかえり阿弥陀(あみだ)」として知られている阿弥陀如来立像(あみだにょらいりゅうぞう)が有名です。寺の中の池の周りには、松や楓(かえで)の木が多く、昔からモミジの名所となっています。
更新日:2009年3月27日
- 〒606-8445 京都市左京区永観堂町48
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市バス「南禅寺・永観堂道」下車徒歩3分
- TEL: 075-761-0007
- FAX: 075-771-4243
- URL: http://www.eikando.or.jp/
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【時間】9時〜17時(受付終了:16時)※無休
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平安時代に弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)の弟子が建てた寺で、正しい名前は禅林寺(ぜんりんじ)です。永観律師(ようか …[続きを読む]
更新日 : 2009年3月27日
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えびすじんじゃ恵美須神社
毎年1月8〜12日に行われる「十日ゑびす大祭」は大勢の人でにぎわいます。境内は『商売繁盛(はんじょう)で笹持ってこい』の掛け声が飛び交い、商売人の人たちが縁起物の笹やお札を競って買い求めます。建仁寺を開いた栄西禅師(えいさいぜんじ)が、宋(中国)から帰国するとき暴風雨にあい、波間から現れたゑびすさんに祈ったところ、波がおさまったことから建仁寺を守る神社として建てられました。日本三大ゑびすの一つで、他は西宮と大阪今宮にある恵比寿神社です。
更新日:2016年6月17日
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毎年1月8〜12日に行われる「十日ゑびす大祭」は大勢の人でにぎわいます。境内は『商売繁盛(はんじょう)で笹持ってこい』の掛 …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月17日
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えんとくいん圓徳院
豊臣秀吉の没後、その妻北政所ねねは「高台院」の号を勅賜(ちょくし)されたのを機縁に高台寺建立を発願し、慶長10年(1605)、秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿とその前庭を山内に移築して移り住んだ。ねね58歳のことであり、77歳で没するまでの19年間をこの地で余生を送り、終焉の地となった。圓徳院はねねの甥、木下利房を開基に木下家の菩提寺として開かれ、高台寺の塔頭とされた。寛永9年、ねねの没後9年目のことである。
更新日:2016年6月17日
- 〒605-0825 京都市東山区高台寺下河原町530
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市バス「東山安井」下車徒歩5分
- TEL: 075-525-0101
- URL: http://www.kodaiji.com/entoku-in/
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【時間】午前10時〜午後5時30分(受付終了は午後5時30分)
※無休 但し、法務により拝観休みになる場合があります。
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豊臣秀吉の没後、その妻北政所ねねは「高台院」の号を勅賜(ちょくし)されたのを機縁に高台寺建立を発願し、慶長10年(1605 …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月17日
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おおいしじんじゃ大石神社
浪曲師の吉田奈良丸(ならまる)が呼びかけて、昭和10年に忠臣蔵で有名な大石内蔵助(くらのすけ)をお祭した神社です。大石は赤穂藩の家老。殿様が江戸城で刃物でひとを傷つける事件を起こし一方的に切腹させられ、その罪を晴らそうと大石神社境内近くに隠れ住み、同志とひそかに連絡をとります。やがて、江戸に住む相手の吉良(きら)邸に討ち入り思いをとげます。決行した12月14日に「義士祭」が行われ、大石と47人の同志にふんした行列が、山科一帯を練り歩きます。
更新日:2009年12月28日
- 〒607-8308 京都市山科区西野山桜馬場町116
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京阪バス「大石神社」下車徒歩1分
- TEL: 075-581-5645
- FAX: 075-591-4335
- URL: http://www.ohishi-jinja.jp/
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【時間】9時〜16時半 ※無休
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浪曲師の吉田奈良丸(ならまる)が呼びかけて、昭和10年に忠臣蔵で有名な大石内蔵助(くらのすけ)をお祭した神社です。大石は赤 …[続きを読む]
更新日 : 2009年12月28日
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かじゅうじ勧修寺
平安時代に醍醐天皇(だいごてんのう)が、なくなった母をお祈りするために開いたお寺です。江戸時代に、宸殿(しんでん)と書院(しょいん)を御所(ごしょ)から、本堂は仮御所(かりごしょ)から移したので、天皇と深いかかわりのある寺です。氷室(ひむろ)の池を中心とした庭園と書院前庭(しょいんまえにわ)があります。書院前庭には水戸光圀(みとみつくに)が寄付したと伝わる勧修寺型灯篭(かじゅうじがたとうろう)があります。これは、背が広く大きな傘を持つおもしろい形をしています。
更新日:2009年12月28日
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平安時代に醍醐天皇(だいごてんのう)が、なくなった母をお祈りするために開いたお寺です。江戸時代に、宸殿(しんでん)と書院( …[続きを読む]
更新日 : 2009年12月28日