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のむらびじゅつかん野村美術館
野村證券などの創業者で金融財閥を築いた二代目野村徳七が、生前に収集したコレクションをもとに昭和59に開館しました。収集したのは茶器や茶道具と能装束(しょうぞく)、能面のほか絵画、書跡、陶磁器など重要文化財7件を含む約1500点の多数にのぼります。得庵と名乗った野村徳七は、茶の精神に造けいが深く、茶と能に関するものが主体になっています。茶席にしつらえた一角に季節の茶道具を展示しているので必見です。
更新日:2016年6月6日
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ねねのみちねねの道
東山の高台寺の門前を中心に南北に延びる石畳の道です。「ねねの道」と呼ぶのは、高台寺が秀吉の正妻・北政所(きたのまんどころ)「ねね」ゆかりの寺であることからです。円山公園の南側から霊山観音(りょうぜんかんのん)の参道までの約460メートルで、平成10年に整備されました。京情緒が漂う周囲の風景を壊さないように、電線を地中に埋め、石畳を敷いて景観保護に努められています。ねねの道の途中には、高い石垣が連なる石塀小路(いしべこうじ)があり、南に下れば清水寺に向かう二年坂や産寧(さんねい)坂に続く、人気の高い散策路です。
更新日:2007年3月15日
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東山の高台寺の門前を中心に南北に延びる石畳の道です。「ねねの道」と呼ぶのは、高台寺が秀吉の正妻・北政所(きたのまんどころ) …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日
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なんぜんじ南禅寺
鎌倉時代のはじめ、大明国師が亀山天皇の離宮をお寺にあらためたものです。室町時代の将軍足利義満(あしかがよしみつ)のころには、お寺の格としては最上位の「五山の上」とされました。住職の居間である国宝の方丈(ほうじょう)は大方丈と小方丈に分かれ、小方丈のふすま絵の狩野探幽(かのうたんゆう)がかいた「水呑の虎」(みずのみのとら)は有名です。大方丈の前庭は小堀遠州作の「虎の子渡し(とらのこわたし)」と呼ばれ、江戸初期の代表的な枯山水(かれさんすい)庭園として知られています。歌舞伎「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」では石川五右衛門が門の上から言った「絶景かな、絶景かな」という有名なセリフがあります。
更新日:2009年3月27日
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鎌倉時代のはじめ、大明国師が亀山天皇の離宮をお寺にあらためたものです。室町時代の将軍足利義満(あしかがよしみつ)のころには …[続きを読む]
更新日 : 2009年3月27日
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なみかわやすゆきしっぽうきねんかん並河靖之七宝記念館
七宝焼の作家・並河靖之の旧宅を利用してつくられた記念館です。京都に数ある町家の中でも規模が大きい方で、美しい建物の一つです。表から見ると京町家風ですが、中に入るとまるで御殿のような広々とした豪勢な造りになっています。庭は造園家として名高い7代目小川治兵衛(おがわじへい)の作庭。池には大きなニシキゴイが気持ちよさそうに泳いでいます。工房もほぼ当時のまま残っていて見学することができます。
更新日:2016年6月27日
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七宝焼の作家・並河靖之の旧宅を利用してつくられた記念館です。京都に数ある町家の中でも規模が大きい方で、美しい建物の一つです …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月27日
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とよくにじんじゃ豊国神社
豊臣秀吉(とよとみひでよし)をまつる神社で、「ほうこくさん」とも呼ばれています。秀吉は死後、東山の阿弥陀ケ峰の山頂に葬られました。翌年にその山腹に社殿が建てられました。豊臣家が滅亡すると江戸幕府によって取り壊されますが、明治になって政府は、秀吉の功績を称えて現在の場所に豊国神社を新しく建てました。本殿前の唐門は伏見城の門を移したものといわれ、国宝です。柱や扉に鶴や鯉など見事な彫刻が施され、桃山文化の華やかさを実感できます。
更新日:2018年6月28日
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豊臣秀吉(とよとみひでよし)をまつる神社で、「ほうこくさん」とも呼ばれています。秀吉は死後、東山の阿弥陀ケ峰の山頂に葬られ …[続きを読む]
更新日 : 2018年6月28日
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とうふくじ東福寺
鎌倉時代の初め、摂政の九条道家が都最大の寺を造ろうと、寺の名前を奈良の東大寺(とうだいじ)と興福寺(こうふくじ)にならって、東福寺と名付けられました。大伽藍(だいがらん)で有名でしたが、多くは明治14年の火災で失いましたが、三門(国宝)を初め重文の浴室、東司(とうす=便所)、禅堂など室町時代の禅僧(ぜんそう)の生活を知るための貴重な建築が残っています。境内の通天橋(つうてんきょう)はモミジの名所としても有名です。
更新日:2018年6月21日
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鎌倉時代の初め、摂政の九条道家が都最大の寺を造ろうと、寺の名前を奈良の東大寺(とうだいじ)と興福寺(こうふくじ)にならって …[続きを読む]
更新日 : 2018年6月21日
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てつがくのみち哲学の道
東山のふもとの若王子橋(にゃくおうじばし)から銀閣寺橋(ぎんかくじばし)までの約1.5キロの疏水(そすい)べりの小道のことを哲学の道といいます。疏水(そすい)とは琵琶湖(びわこ)から引かれた水路のことです。西田幾多郎(にしだきたろう)という哲学者がよくこの道を散歩したことからこの名前がついたといわれています。春はサクラの名所として有名ですが、初夏には都会では珍しいホタルの姿も見られます。道沿いには京都らしいおみやげもの屋さんもあり、哲学者でなくてもブラブラと散歩したくなる道です。
更新日:2007年3月15日
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東山のふもとの若王子橋(にゃくおうじばし)から銀閣寺橋(ぎんかくじばし)までの約1.5キロの疏水(そすい)べりの小道のこと …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日
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ちょうらくじ長楽寺
円山公園の東にあります。源平最後の戦いとなった壇ノ浦合戦で、安徳天皇の母・建礼門院(平清盛の娘)は、海に飛び込みますが源氏の兵に助けられます。京に連れてこられた門院は、この寺で髪をおろして出家、後に大原・寂光院で平家一門の菩提を弔います。境内に供養塔があり、尼姿の肖像画と幼くして亡くなった安徳天皇の衣を縫い直した幡(ばん=仏事につかう旗)が伝わっています。境内には儒学者として有名な頼(らい)山陽親子の墓があります。
更新日:2016年6月14日
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円山公園の東にあります。源平最後の戦いとなった壇ノ浦合戦で、安徳天皇の母・建礼門院(平清盛の娘)は、海に飛び込みますが源氏 …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月14日
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ちしゃくいん智積院
豊臣秀吉(とよとみひでよし)が、3歳で亡くなった長男・鶴松(つるまつ)を弔うために建てたお寺が起こりとされています。何度も災害にあいましたが、1600年に建て直された際、「智積院」と名付けられました。桃山文化を代表する美しい障壁画と庭園で知られています。中でも、長谷川等伯(はせがわとうはく)らによって描かれた「桜図」「楓図」は国宝に指定され、わが国最高の名作のひとつとされています。
更新日:2018年6月21日
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豊臣秀吉(とよとみひでよし)が、3歳で亡くなった長男・鶴松(つるまつ)を弔うために建てたお寺が起こりとされています。何度も …[続きを読む]
更新日 : 2018年6月21日
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ちおいんいん知恩院
鎌倉時代に法然上人(ほうねんしょうにん)が住み、念仏の教えをといたところです。徳川幕府の三代の将軍、家康(いえやす)・秀忠(ひでただ)・家光(いえみつ)により、現在の場所に建てられました。高さ24メートル幅50メートルの国宝の三門や国宝御影堂を始めとして、経蔵など重要文化財の宝庫です。知恩院7不思議があり、御影堂裏に紹介コーナーがあります。
更新日:2016年6月14日
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鎌倉時代に法然上人(ほうねんしょうにん)が住み、念仏の教えをといたところです。徳川幕府の三代の将軍、家康(いえやす)・秀忠 …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月14日