見学スポットの検索結果
絞り込み検索
(エリア・カテゴリの条件を指定して検索結果を絞り込むことができます)
-
まるやまこうえん円山公園
なだらかな東山をバックに、京都では一番古い公園です。池や庭園、たくさんの木があり、広さは10万平方メートル。八坂(やさか)神社や知恩院(ちおんいん)とも隣り合っていて、のんびりと散歩に訪れる人がたくさんいます。一年中で一番華やかなのはサクラの時。いま2代目のシダレザクラは70才を超えていますが、大きくて美しく、夜にはかがり火をたいて、眺めます。「祇園(ぎおん)の夜桜(よざくら)」といわれ、京都の春の一番の見どころです。
更新日:2007年3月15日
- カテゴリ
-
- 洛東
- 名所・旧跡
なだらかな東山をバックに、京都では一番古い公園です。池や庭園、たくさんの木があり、広さは10万平方メートル。八坂(やさか) …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日
-
ほそみびじゅつかん細見美術館
昭和の実業家・細見家三代が収集した、日本美術品を展示しています。京都の文化ゾーンに位置する京都会館横の、疏水(そすい)沿いにあります。重要文化財30数件を含む日本美術品のすべての分野、時代から収集された数は千点に上ります。難しい、近づきにくい美術品を、ほんの少し見方を変えることで思いがけない発見や出合いが待っているというのが美術館のモットーです。立ち寄ってぬくもりを感じてはいかがですか。
更新日:2016年6月3日
-
ほうねんいん法然院
法然が弟子の住蓮(じゅうれん)・安楽と住み、阿弥陀仏をたたえる「六時礼讃(らいさん)」の修行を行った地と伝えます。1206年、後鳥羽上皇が熊野詣(もう)でに行ったすきを狙い、上皇に仕える松虫と鈴虫が住蓮・安楽を慕って出家。これが上皇の怒りを買い住蓮・安楽は死罪、法然は讃岐(さぬき=香川県)に流罪となる事件が起こり、庵は荒廃しましたが、その後、江戸時代初期に再興しました。静かな参道、かやぶきの門、白砂檀、庭園にわく「善気水」。小説家・谷崎潤一郎など多くの有名な学者の墓があります。
更新日:2007年3月16日
- 〒606-8422 京都市左京区鹿ケ谷御所ノ段町
-
市バス「錦林車庫前」下車徒歩10分
- TEL: 075-771-2420
- FAX: 075-752-1083
- URL: http://www.honen-in.jp/
- E-MAIL: Byakurenja@aol.com
-
【時間】6時〜16時 ※無休
- カテゴリ
-
- 洛東
- 寺院・神社
法然が弟子の住蓮(じゅうれん)・安楽と住み、阿弥陀仏をたたえる「六時礼讃(らいさん)」の修行を行った地と伝えます。1206 …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月16日
-
ほうじゅうじ法住寺
後白河法皇の遺骨が納められた法華堂を守ると同時に、身代わり不動尊に対する信仰を集めてきました。明治に後白河天皇陵とお堂が国の管理となり、寺が分離されました。この地は後白河法皇の御所である法住寺殿(どの)があったところ。三十三間堂、新日吉神社、新熊野神社が立ち並ぶ広大なもので、木曾義仲に攻められたこともあります。法皇は、源頼朝から「日本一の大天狗」と皮肉られるような策謀家である半面、芸能を好み、今様を集めて『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』を編集した文化人でした。
更新日:2018年6月21日
- カテゴリ
-
- 洛東
- 寺院・神社
後白河法皇の遺骨が納められた法華堂を守ると同時に、身代わり不動尊に対する信仰を集めてきました。明治に後白河天皇陵とお堂が国 …[続きを読む]
更新日 : 2018年6月21日
-
ほうこうじ方広寺
豊臣秀吉(とよとみひでよし)が1586年、東大寺大仏より大きい高さ19メートルの大仏と高さ50メートルの大仏殿をつくりました。しかし10年後、地震で大仏は壊れました。秀吉の遺志を継いだ子の秀頼が1614年に大仏を造りますが、今度は寺の鐘に刻まれた「国家安康・君臣豊楽」の文字は「家康の2字を離し、豊臣の2字を続けるのは徳川家への反逆」と家康が、言いがかりをつけました。これが要因となって大坂冬・夏の陣に突入、豊臣家は滅亡します。境内に豊臣家滅亡のきっかけとなった鐘と巨石が残されています。
更新日:2016年6月17日
- カテゴリ
-
- 洛東
- 寺院・神社
豊臣秀吉(とよとみひでよし)が1586年、東大寺大仏より大きい高さ19メートルの大仏と高さ50メートルの大仏殿をつくりまし …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月17日
-
ほうかんじ法観寺
京都の人には「八坂の塔」と呼ばれ、親しまれています。東山の夕景に映える高さ46メートルの五重塔がシンボルマークです。聖徳太子が建てたと伝えられ、この地に住んだ渡来人(とらいじん)・八坂氏ゆかりの寺とみられています。当初はたくさんの建物がある大きな寺でしたが、現在は塔と小さなお堂が残るだけです。塔内部は拝観可能で、仏像のほか、上階からは東山の絶景を楽しむことができます。
更新日:2016年6月17日
- カテゴリ
-
- 洛東
- 寺院・神社
京都の人には「八坂の塔」と呼ばれ、親しまれています。東山の夕景に映える高さ46メートルの五重塔がシンボルマークです。聖徳太 …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月17日
-
へいあんじんぐう平安神宮
明治28年の平安遷都(せんと)千百年祭に建てられました。桓武天皇(かんむてんのう)と孝明天皇をまつっています。平安京の大内裏(だいだいり)の正庁をまねし、約8分の5に縮小して造られた応天門(おうてんもん)、大極殿(だいごくでん)などの朱ぬりの建築が非常にきれいです。庭作りの名人7代目小川治兵衛(おがわじへえ)の作になる神苑(しんえん)は約3万平方メートル。東・中・西は池を中とした庭園で、南の庭園はシダレサクラが有名です。10月22日には「時代祭」が行われます。京都三大祭の一つです。
更新日:2009年3月27日
- カテゴリ
-
- 洛東
- 寺院・神社
- 車椅子で周れる施設
明治28年の平安遷都(せんと)千百年祭に建てられました。桓武天皇(かんむてんのう)と孝明天皇をまつっています。平安京の大内 …[続きを読む]
更新日 : 2009年3月27日
-
びわこそすいきねんかん琵琶湖疏水記念館
琵琶湖疏水は、明治中期に琵琶湖から京都まで引かれた水路です。当時の日本の技術で建設することは難しいと言われていましたが、北垣国道第3代京都府知事のもと、大学を卒業したばかりの田辺朔郎(たなべさくろう)が、設計・監督して完成させました。当初は、水車動力の利用運河などの計画でしたが、さまざまな計画変更のなか、水力発電の実用に踏み切ったことで、その電力を用いた路面電車が走り出すなど、東京遷都のため沈みきった京都は活力を取り戻しました。記念館では、当時の工事に関わった人々の苦労をしのばせる資料の展示や、発電に用いた水車も展示しています。
更新日:2016年6月27日
-
びしゃもんどう毘沙門堂
応仁の乱で廃絶して洛中にあった寺を「黒衣の宰相(こくえのさいしょう)」と呼ばれた天海(てんかい)僧正の遺志を継いだ弟子が、山科の地に再建しました。後西(ごさい)天皇の皇子が入寺してから門跡(もんぜき)寺院となり、現在は天台宗五箇室門跡の一つとされています。本尊・毘沙門天(京之七福神)はじめ本堂、唐門、仁王門など建物も見ごたえがあります。だまし絵といわれる老人が描かれた襖絵は、逆遠近法を使った面白いものです。
更新日:2007年3月16日
- カテゴリ
-
- 洛東
- 寺院・神社
応仁の乱で廃絶して洛中にあった寺を「黒衣の宰相(こくえのさいしょう)」と呼ばれた天海(てんかい)僧正の遺志を継いだ弟子が、 …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月16日
-
はくさそんそうはしもとかんせつきねんかん白沙村荘橋本関雪記念館
銀閣寺参道と哲学の道の入り口近くにあります。大正時代に活躍した日本画家・橋本関雪が建てた「白沙村荘」を美術館にしています。近くを流れる白川の砂と当時この辺りは一面の田畑だったことから名付けられました。記念館では関雪の作品はじめギリシア陶器、中国、日本の文人画などのコレクションを公開しています。池を中心に回遊式の広大な庭園は関雪自身の設計で、平安時代の灯ろうや石造美術品が多く置かれ、茶室が有名です。
更新日:2020年2月13日
- カテゴリ
-
- 洛東
- 美術館・博物館
銀閣寺参道と哲学の道の入り口近くにあります。大正時代に活躍した日本画家・橋本関雪が建てた「白沙村荘」を美術館にしています。 …[続きを読む]
更新日 : 2020年2月13日