見学スポットの検索結果
絞り込み検索
(エリア・カテゴリの条件を指定して検索結果を絞り込むことができます)
-
じぞういん(たけでら)地蔵院(竹寺)
広い境内の半分に孟宗竹(もうそうちく)や真竹(まだけ)が生い茂ることから通称「竹の寺」といわれています。南北朝時代に幼い足利義満を助けて室町幕府を支えた細川頼之(よりゆき)が開いたお寺です。本尊が地蔵菩薩なのと、西芳寺川(さいほうじがわ)が流れる谷に位置することから昔は「谷の地蔵」と呼ばれていました。一面に広がる杉苔(すぎごけ)の上に16個の石が配された「十六羅漢(じゅうろくらかん)の庭」は、平庭式の枯山水庭園で、京都市登録名勝庭園です。一休禅師が幼いころ、修行をした寺としても知られています。
更新日:2024年12月2日
- カテゴリ
-
- 洛西
- 寺院・神社
広い境内の半分に孟宗竹(もうそうちく)や真竹(まだけ)が生い茂ることから通称「竹の寺」といわれています。南北朝時代に幼い足 …[続きを読む]
更新日 : 2024年12月2日
-
おおいしじんじゃ大石神社
浪曲師の吉田奈良丸(ならまる)が呼びかけて、昭和10年に忠臣蔵で有名な大石内蔵助(くらのすけ)をお祭した神社です。大石は赤穂藩の家老。殿様が江戸城で刃物でひとを傷つける事件を起こし一方的に切腹させられ、その罪を晴らそうと大石神社境内近くに隠れ住み、同志とひそかに連絡をとります。やがて、江戸に住む相手の吉良(きら)邸に討ち入り思いをとげます。決行した12月14日に「義士祭」が行われ、大石と47人の同志にふんした行列が、山科一帯を練り歩きます。
更新日:2024年10月16日
- 〒607-8308 京都市山科区西野山桜馬場町116
-
京阪バス「大石神社」下車徒歩1分
- TEL: 075-581-5645
- FAX: 075-591-4335
- URL: https://ooishijinja.com/
-
【時間】9時〜16時半 ※無休
- カテゴリ
-
- 洛東
- 寺院・神社
浪曲師の吉田奈良丸(ならまる)が呼びかけて、昭和10年に忠臣蔵で有名な大石内蔵助(くらのすけ)をお祭した神社です。大石は赤 …[続きを読む]
更新日 : 2024年10月16日
-
きたのてんまんぐう北野天満宮
北野天満宮は、菅原道真公(菅公)を御祭神としておまつりする全国約1万2000社の天満宮・天神社の総本社です。古来「北野の天神さま」と親しまれ、入試合格・学業成就・文化芸能・災難厄除祈願のお社として幅広く信仰されています。
天神信仰発祥の社として今から千年あまり前の村上天皇天暦元年(947)、御神託により平安京の天門にあたる北野の地に菅公をおまつりし創建されました。
その後、藤原氏による大規模な御社殿の造営があり、永延元年(987)に一條天皇の勅使が派遣され、国家の平安が祈念されました。この時、一條天皇より「北野天満宮大自在天神」の御神号を賜り、菅公は「天神さま」としておまつりされ、以後、寛弘元年(1004)の一條天皇の行幸をはじめ、代々皇室の御崇敬をうけ、国家国民を守護する霊験あらたかな神として崇められてきました。
更新日:2024年9月18日
- 〒602-8386 京都市上京区馬喰町
-
市バス「北野天満宮前」下車徒歩すぐ
- TEL: 075-461-0005
- FAX: 075-461-6556
- URL: http://www.kitanotenmangu.or.jp/
-
開閉門7時〜17時
*もみじ苑ライトアップ期間や正月等は夜間も開門しています。
各行事のお知らせ記事をご覧ください。
*御本殿前三光門は上記閉門時間の30分前に閉門いたします。
(中庭でのご参拝は出来ません)
- カテゴリ
-
- 洛西
- 寺院・神社
- 車椅子で周れる施設
北野天満宮は、菅原道真公(菅公)を御祭神としておまつりする全国約1万2000社の天満宮・天神社の総本社です。古来「北野の天 …[続きを読む]
更新日 : 2024年9月18日
-
ろくはらみつじ六波羅蜜寺
空也が鴨川の東に寺を開き、弟子が現在の名前にしました。空也は諸国を歩いて社会事業を行い、身分の上下を問わない「口称(こうしょう)念仏」という布教で町中をまわり、「市の聖(ひじり)」と呼ばれました。その後この一帯は、平安時代末に平家一門の屋敷が立ち並び、鎌倉時代には六波羅探題を置きました。令和館には口から仏が飛び出している有名な空也上人像や平清盛像(ともに重文)が安置されています。12月に行われる「空也踊躍(ゆやく)念仏」が有名です。
更新日:2024年4月2日
- カテゴリ
-
- 洛東
- 寺院・神社
空也が鴨川の東に寺を開き、弟子が現在の名前にしました。空也は諸国を歩いて社会事業を行い、身分の上下を問わない「口称(こうし …[続きを読む]
更新日 : 2024年4月2日
-
みょうしんじ妙心寺
室町時代の初め、1342年花園上皇が関山慧玄(かんざんえげん)を招いて開いたお寺です。応仁の乱で多くの堂塔を焼失しましたが、武将細川勝元(ほそかわかつもと)らの援助で再興しました。その後、豊臣、徳川家をはじめ諸大名が信仰するようになり栄えました。南から三門、仏殿(ぶつでん)、法堂(はっとう)などの伽藍(がらん)が並びます。法堂の天井には狩野探幽が描いた雲龍図があります。国宝の黄鐘調鐘(おうじきちょうしょう)や重要文化財に指定されている明智風呂(あけちぶろ)と呼ばれるむしぶろ形式の浴室(よくしつ)が今も残っています。
更新日:2020年10月16日
- カテゴリ
-
- 洛西
- 寺院・神社
室町時代の初め、1342年花園上皇が関山慧玄(かんざんえげん)を招いて開いたお寺です。応仁の乱で多くの堂塔を焼失しましたが …[続きを読む]
更新日 : 2020年10月16日
-
しょうれんいん青蓮院
天台宗の門跡寺院で非常に格式が高く、粟田御所(あわたごしょ)と呼ばれました。天明の大火(てんめいのたいか)の時に天皇が避難したこともあります。このお寺で出家した親鸞聖人お手植えと伝わる樹齢800年の大きな楠(くすのき)は京都市の天然記念物に指定されています。宸殿(しんでん)、小御所(こごしょ)、本堂(ほんどう)が並んでいます。庭園は裏山の景色を取り入れた龍心池(りゅうしんいけ)と、築山(つきやま)のある池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)です。
更新日:2018年10月2日
- カテゴリ
-
- 洛東
- 寺院・神社
天台宗の門跡寺院で非常に格式が高く、粟田御所(あわたごしょ)と呼ばれました。天明の大火(てんめいのたいか)の時に天皇が避難 …[続きを読む]
更新日 : 2018年10月2日
-
ひがしほんがんじ東本願寺
1602年徳川家康から土地を与えられた教如上人が、東本願寺を建てました。御影堂門(ごえいどうもん)をくぐると、中央に御影堂があります。高さ38メートル、広さたたみ927枚分という世界最大級の木造の建物であり、親鸞聖人(しんらんしょうにん)の御真影(木像)を安置しています。その南側には本堂・阿弥陀堂(あみだどう)があり、本尊・阿弥陀如来を安置しています。また、東に歩いて5分くらいのところに石川丈山が作庭した飛地境内の庭園「渉成園(しょうせいえん)、別名 枳殻邸(きこくてい)」があります。
更新日:2018年7月23日
- カテゴリ
-
- 洛中
- 寺院・神社
- 車椅子で周れる施設
1602年徳川家康から土地を与えられた教如上人が、東本願寺を建てました。御影堂門(ごえいどうもん)をくぐると、中央に御影堂 …[続きを読む]
更新日 : 2018年7月23日
-
とよくにじんじゃ豊国神社
豊臣秀吉(とよとみひでよし)をまつる神社で、「ほうこくさん」とも呼ばれています。秀吉は死後、東山の阿弥陀ケ峰の山頂に葬られました。翌年にその山腹に社殿が建てられました。豊臣家が滅亡すると江戸幕府によって取り壊されますが、明治になって政府は、秀吉の功績を称えて現在の場所に豊国神社を新しく建てました。本殿前の唐門は伏見城の門を移したものといわれ、国宝です。柱や扉に鶴や鯉など見事な彫刻が施され、桃山文化の華やかさを実感できます。
更新日:2018年6月28日
- カテゴリ
-
- 洛東
- 寺院・神社
豊臣秀吉(とよとみひでよし)をまつる神社で、「ほうこくさん」とも呼ばれています。秀吉は死後、東山の阿弥陀ケ峰の山頂に葬られ …[続きを読む]
更新日 : 2018年6月28日
-
ようげんいん養源院
豊臣秀吉(とよとみひでよし)の側室淀殿(よどどの)が、父の浅井長政(あさいながまさ)の霊をとむらうために建てた寺院。その後、火災に合い、徳川秀忠(ひでただ)が夫人崇源院(すうげんいん=淀殿の妹)の願いにより、伏見城の一部を移したのが今の本堂。本堂廊下の天井には、伏見城落城のときに廊下で自刃した武士の血のあとが残り、天井に貼って「血天井」といわれています。俵屋宗達(たわらやそうたつ)が描いた杉戸絵や狩野山楽(かのうさんらく)の襖絵(ふすまえ)なども有名なので見てみよう。
更新日:2018年6月21日
- カテゴリ
-
- 洛東
- 寺院・神社
豊臣秀吉(とよとみひでよし)の側室淀殿(よどどの)が、父の浅井長政(あさいながまさ)の霊をとむらうために建てた寺院。その後 …[続きを読む]
更新日 : 2018年6月21日
-
ちしゃくいん智積院
豊臣秀吉(とよとみひでよし)が、3歳で亡くなった長男・鶴松(つるまつ)を弔うために建てたお寺が起こりとされています。何度も災害にあいましたが、1600年に建て直された際、「智積院」と名付けられました。桃山文化を代表する美しい障壁画と庭園で知られています。中でも、長谷川等伯(はせがわとうはく)らによって描かれた「桜図」「楓図」は国宝に指定され、わが国最高の名作のひとつとされています。
更新日:2018年6月21日
- カテゴリ
-
- 洛東
- 寺院・神社
豊臣秀吉(とよとみひでよし)が、3歳で亡くなった長男・鶴松(つるまつ)を弔うために建てたお寺が起こりとされています。何度も …[続きを読む]
更新日 : 2018年6月21日