きょうと修学旅行ナビ

歴史・文化を学ぶ

京都の文化

古典文学

華やかな王朝文学

永い間日本の都が置かれていた京都からはさまざまな文学が生まれ、また文学作品の舞台ともなりました。平安時代を代表する女流作家としては紫式部や清少納言の名が挙げられますが、彼女らはいずれも一条天皇の后(きさき)などの宮廷に仕えた上流の女官でした。紫式部の邸宅は、現在の京都御所の東側の廬山寺(ろざんじ)の付近にあったと考えられています。彼女はここで、世界に名だたる名作『源氏物語』の構想を練っていたのです。また、平安時代には『栄華物語』や『大鏡』といった、仮名で書かれた歴史物語の傑作が誕生します。どちらも藤原摂関政治の全盛時代を創り上げた藤原道長を主人公としたものです。道長の邸宅は「土御門殿(つちみかどどの)」といい、その跡地は現在の仙洞(せんとう)御所・大宮御所のあたりです。また、『大鏡』は洛北の「雲林院(うんりんいん)」にお参りに来た190歳の老人の昔語りという形をとっていますが、この雲林院は現在も北大路通堀川の近くに姿を留めています。

鎌倉期には軍記物

鎌倉時代に入ると、各種の「軍記物」が成立します。その代表的なものは平清盛を中心とする平家一門の栄華と没落を描いた『平家物語』です。ここには、平家の本拠としての六波羅、後白河法皇の御所であった法住寺殿、平家を倒す陰謀がめぐらされた鹿ヶ谷など、京都のあちこちの地名が登場します。  自分のお気に入りの古典文学の作品を読みながら、それに関連した京都の史跡を歩く。こうしたこともまた、京都のひそかな楽しみ方ではないでしょうか。

京都が舞台の文学作品(一部)
ジャンル 作品・作家名
物語 『竹取物語』不明 『伊勢物語』不明 『宇津保物語』不明 『源氏物語』紫式部
平安時代~鎌倉時代
日記・随筆 『土佐日記』紀貫之 『蜻蛉日記』藤原道綱の母 『枕草子』清少納言 『和泉式部日記』和泉式部 『紫式部日記』紫式部 『更級日記』菅原孝標女 『方丈記』鴨長明 『十六夜日記』阿仏尼 『徒然草』吉田兼好
軍記物 『栄華物語』不明 『大鏡』不明 『平家物語』不明
説話集 『今昔物語集』不明 『宇治拾遺物語』不明 『古今著聞集』橘成季編
和歌集 『古今和歌集』紀貫之 『小倉百人一首』藤原定家選
室町時代~江戸時代
浮世草子 『好色一代男』井原西鶴
物語 『東海道中膝栗毛』十返舎一九
軍記物 『太平記』不明
明治~
小説 『細雪』谷崎潤一郎 『古都』川端康成 『高瀬舟』森鴎外 『檸檬』梶井基次郎 『虞美人草』夏目漱石 『暗夜行路』志賀直哉 『金閣寺』三島由紀夫

伝統文化

家元制度で全国ネット

千年の歴史を誇る京都には、さまざまな伝統文化が今も息づいています。たとえば、豊臣秀吉に仕えた千利休によって大成された茶道は、その後、さまざまな流派に分かれていきました。その中でも利休の子孫である「三千家」つまり表千家(不審庵=ふしんあん)、裏千家(今日庵=こんにちあん)、武者小路千家(官休庵=かんきゅうあん)や、利休の弟弟子が始めた藪内家は、いずれも京都に本拠を置いて茶の心の継承に努めています。京都の六角堂(頂法寺)の住職を兼ねる池坊家は、今も日本の華道の一大中心としての地位を保ち続けています。その他にも、能の金剛流、舞の井上流、狂言の大蔵流(茂山家)など、京都に本拠を置く伝統芸能の流派は数限りなくあります。その多くは家元制度を導入し、全国的なネットワークを創り上げて門人の育成をおこない、同時に伝統文化の中心としての京都の地位を高めているのです。

歌舞伎と雅楽にも伝統

四条大橋の東側には、歌舞伎(かぶき)の劇場として有名な「南座」があり、毎年12月に行われる「顔見世」は特に多くの観客を集めています。鴨川の四条河原は17世紀初めに出雲阿国(いずものおくに)が「かぶき踊」を始めたところです。
 京都の伝統芸能として、雅楽(ががく)も忘れることはできません。雅楽は平安時代には宮廷の儀式に欠かせない音楽・舞踊として発展し、現代まで受け継がれているのです。

美術

仏像彫刻に傑作多く

芸術の都でもある京都は、すばらしい美術品によって満たされています。お寺を訪ねたら、仏様の姿をじっくりと見せていただきましょう。火災のためにお寺の建物が焼失しても、仏像だけは助け出されることが多く、思いがけないところに古いすばらしい彫刻作品が残っているからです。平安時代中期の京都で活躍した仏師である定朝(じょうちょう)は、寄木造(よせぎづくり)という新しい手法を完成して仏像彫刻の新しい可能性を開きました。宇治の平等院鳳凰堂(ほうおうどう)の本尊である阿弥陀如来(あみだにょらい)像は、定朝の最高傑作のひとつです。鎌倉時代に入ると、まるで生きているような迫真性を持つ彫刻が数多く生まれました。六波羅蜜寺の「空也(くうや)上人像」は、口から「南無(なむ)阿弥陀仏」という念仏の声が六体の小さな仏像となって飛び出しているという奇抜な発想のもので、この時代の代表的な人物彫刻です。[仏像の見方はこちらをクリック

独創的な絵画作品

傷みやすい絵画作品はいつも人目にさらしておくことが難しく、お目当ての作品に必ず会えるとは限りません。しかし、博物館の常設展示や特別展覧会、お寺の特別公開などの機会はぜひ逃さずに行ってみましょう。さまざな動物が擬人化された格好で登場し、まるでアニメを見ているような気分にさせてくれる高山寺の『鳥獣人物戯画(ちょうじゅうじんぶつぎが)』(12~13世紀ごろ)と、奇妙だけれどもどことなくユーモラスな妖怪たちが大行進する大徳寺真珠庵の『百鬼夜行(ひゃっきやこう)絵巻』(16世紀)など、面白い作品に出合えるかもしれません。皆さんも京都の博物館や寺社を訪ねて、自分のフィーリングに合った一品を探してみませんか?

作家の表

江戸時代後期明治時代

ジャンル 作家 作品 年代 所蔵
飛鳥時代
彫刻 弥勒菩薩半跏思惟像(国宝) 7世紀 広隆寺
国風文化
彫刻 定朝 平等院鳳凰堂 阿弥陀如来像(国宝) 11世紀 平等院
院政文化
絵画 鳥羽僧正覚猷 鳥獣人物戯画(国宝) 平安末~鎌倉初期 高山寺
絵画 藤原隆能 源氏物語絵巻(国宝) 平安末期 ★名古屋市・徳川美術館、東京都世田谷区・五島美術館
鎌倉時代・南北朝時代
絵画 藤原隆信 伝・源頼朝像・平重盛像(国宝) 鎌倉初期 神護寺
絵画 北野天神縁起絵巻(国宝) 鎌倉初期 北野天満宮
彫刻 湛慶 木造千手観音坐像(国宝) 1254年 妙法院蓮華王院(三十三間堂)
彫刻 康勝 空也上人像(重文) 六波羅蜜寺
室町時代
絵画 如拙 「瓢鮎図」(国宝) 1410年ごろ 妙心寺退蔵院
絵画 雪舟 「天橋立図」「夏景山水図」「黄初平図」「花鳥図」(国宝) 1501~1506 京都国立博物館
桃山時代
絵画 狩野永徳 「洛中洛外図」(国宝) 1574年? ★米沢市・上杉博物館
絵画 長谷川等伯 「智積院襖絵」(国宝) 1593年頃 智積院
江戸時代前期
絵画 狩野探幽 「雲龍図」(重文) 江戸時代 妙心寺退蔵院
絵画 狩野探幽 「群虎図」(重文?) 江戸時代 南禅寺
絵画 本阿弥光悦 「鶴図下絵和歌巻」絵:俵屋宗達、書:本阿弥光悦(重文) 17世紀 京都国立博物館
絵画 俵屋宗達 「風神雷神図屏風」(国宝) 17世紀 建仁寺(京都国立博物館)
江戸時代中期
絵画 尾形光琳 「金地著色太公望図」(国宝)   京都国立博物館
絵画 与謝蕪村 「鳶鴉図」(重文) 北村美術館
絵画 円山応挙 「紙本著色七難七福図」(重文) 1768年 承天閣美術館
絵画(日本画) 富岡鉄斎 「青緑山水図 蓬莱仙境・武陵桃源」(×) 1904年 京都国立博物館
絵画(日本画) 竹内栖鳳 「絵になる最初」(×) 1913年 京都市美術館
大正時代
絵画(日本画) 上村松園 「序の舞」(重文) 1936年 ★東京藝術大学
絵画(洋画) 梅原龍三郎 「雲中天壇」(×) 1939年 京都国立近代美術館
昭和時代
絵画(日本画) 堂本印象 「訶梨帝母」(×) 1922年 京都国立近代美術館
陶芸 河井寛次郎 「白地草花絵扁壷」(×) 1939年 河井寛次郎記念館

建築・庭園

火災や戦乱をくぐり抜け

京都は永い歴史の中で、しばしば火災や戦乱に見舞われました。特に15世紀におこった応仁・文明の乱は京都に大きな打撃を与えました。その結果として多くの建物が消滅してしまい、京都には建築物としてはあまり古いものは残っていません。それでも、被害をくぐり抜けて現在に伝えられた建造物はいくつもあり、それはみんなすばらしいものばかりです。飛び抜けて古いのは平安時代前期の醍醐寺五重の塔です。日野法界寺阿弥陀堂、広隆寺講堂、千本釈迦堂(大報恩寺)本堂、六波羅蜜寺本堂、八坂の塔(法観寺五重塔)などは、いずれも応仁・文明の乱以前の貴重な建物です。さらに注目されるのは、江戸時代に入ると、焼失した建造物が続々と再建されていったことです。京都のシンボルともいえる東寺の五重塔なども、江戸時代前期に昔のままに再建されたものです。

近代・現代建築のメッカ

意外に気づく人が少ないのですが、第二次世界大戦(太平洋戦争)の空襲の被害をあまり受けなかった京都は、近代建築・現代建築のメッカでもあります。三条通や同志社大学構内に残る明治・大正の赤レンガの名建築群を散策すると、何となくロマンティックな気持ちになるような気がします。旅の最後に、現代建築のすぐれた技術を集めた京都駅ビルの巨大な大階段に昇り、そのスケールに圧倒されるというのも、またひと味違った京都の味わい方になるでしょう。

表情変える庭園の美

一方、庭園としては、各時代の代表的な作品が残っています。平安時代の平等院の庭園に極楽浄土を見、室町時代の龍安寺の枯山水庭園で禅の心をしのび、また、二条城二ノ丸庭園で江戸幕府の将軍の権力を考えてみましょう。お庭を見る時は、とにかくその場所でゆっくりと座ってみること。そして、季節をかえて何度も何度も足を運んでみることです。その度に、京都の庭園はそれぞれ違った表情で皆さんを迎えてくれることでしょう。[庭園の見方はこちらをクリック

祇園祭に豪華な山鉾

京都では、ほとんど毎日のようにどこかでお祭りがおこなわれています。最もよく知られているのは、山鉾巡行をクライマックスとする祇園祭でしょう。都の大路を豪華な山鉾が32基も進んでいく様子は、まさに日本一の祭の名にふさわしい光景です。祇園祭はもともと平安時代の流行病の退散を願う祭として始まりました。山鉾巡行は、室町時代に始まった、京都の豊かな商工業者を中心とする町衆の力を示すためのパレードです。

平安時代から続く葵祭

「京都の三大祭」と言われるのは、祇園祭のほか、葵祭と時代祭です。葵祭は祇園祭のきらびやかさと違って雅びなものです。それもそのはず、葵祭は平安時代には賀茂祭と呼ばれる、上賀茂・下鴨両神社の例祭でした。ここでは、天皇の代理として神に仕える斎王(現在は斎王代)が御所を出発し、京都の町を静かに練り歩きながら両社へと向かうのです。時代祭、これは京都の中では極めて新しい祭です。平安京ができて1100年目であることを記念して、明治時代に新設されました。それでももう百年余の歳月が流れており、今では京都になくてはならない年中行事としての地位を獲得しています。[京の伝統行事はこちらをクリック

食と暮らし

季節演出する京料理

「京料理」は、日本料理の代表格だということができます。季節感を大事にしながらひとつひとつ丁寧に調理され、盛りつけの器までに心配りを忘れない京料理は、まさに芸術作品にたとえられます。肉や魚を使わない精進料理も、殺生を嫌った寺院において高度な発達を遂げました。
 京都の食文化を支えたのは、近郊の農村から供給される質のよい京野菜でした。九条ネギ、聖護院大根、上賀茂のスグキ、賀茂茄子、堀川ゴボウ、鹿ヶ谷カボチャ、壬生菜などが京都の市民に愛され続けました。一方、内陸都市である京都は新鮮な海の幸には恵まれず、その欠点をさまざまな工夫で補いました。若狭(福井県)と京都を結ぶ山中の街道は「鯖街道」の通称で呼ばれています。若狭湾でとれた新鮮な鯖は、水揚げされると腐るのを防ぐためすぐに塩をふり、この街道を一気に駆け抜けて京都まで運ばれたのです。鯖寿司が京都の名物のひとつになっているのも、昔の京都の民衆の海への憧れを示すものなのです。

見直される町家

京都の普通の家は、「町家」と呼ばれる特殊な造りになっています。敷地は「ウナギの寝床」と呼ばれており、正面が狭く、奥行きが深いという形です。細長い建物を貫いて通路を兼ねた土間があり、母屋の裏側には裏庭や雪隠(トイレ)、離座敷などが配置されます。京町家が並ぶ街並みは、いかにも京都らしい風景を演出しています。そうした京町家は次第に減少していますが、最近ではその良さが見直され、町家を改装しておしゃれなレストランなどにするという試みもあちこちでおこなわれています。