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れんげじ蓮華寺
江戸の初期、加賀藩の家老今枝近義(いまえだちかよし)が洛中から移したもので、親しかった石川丈山(いしかわじょうざん)、狩野探幽(かのうたんゆう)らの協力を得て再興しました。春は新緑、秋は見事な紅葉を見せ、鶴島(つるじま)、亀島(かめじま)からなる池泉回遊式の庭園は丈山作と伝えられています。本堂の前にある灯篭は上部の笠が急こう配になった珍しいもので、蓮華寺型と呼ばれています。螺鈿(らでん)で花鳥草木をかたどった明時代の厨子(ずし)も見逃せません。探幽の跋文(ばつぶん=あとがき)のある「山王霊験記」があります。
更新日:2016年9月14日
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江戸の初期、加賀藩の家老今枝近義(いまえだちかよし)が洛中から移したもので、親しかった石川丈山(いしかわじょうざん)、狩野 …[続きを読む]
更新日 : 2016年9月14日
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ゆきじんじゃ由岐神社
都の北方の鎮守として創建されました。鞍馬寺の仁王門をくぐり、清少納言が『枕草子』に「近くて遠きもの、鞍馬の九十九(つづら)折り」と書いたその急坂の手前にあります。中央の一間が通路になっている割拝殿(わりはいでん)は豊臣秀頼の寄進で、崖(がけ)にそって建てられた懸造(かけづくり)です。10月22日夜に行われる「鞍馬の火祭」は、この神社の例祭。大松明が夜空を焦がす勇壮な祭りで、京の三奇祭の一つです。
更新日:2016年9月14日
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都の北方の鎮守として創建されました。鞍馬寺の仁王門をくぐり、清少納言が『枕草子』に「近くて遠きもの、鞍馬の九十九(つづら) …[続きを読む]
更新日 : 2016年9月14日
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みょうまんじ妙満寺
歌舞伎舞踊『娘道成寺(むすめどうじょうじ)』で知られる「安珍(あんちん)・清姫(きよひめ)ゆかりの鐘」が、展示室に納めてあります。豊臣秀吉が紀州の根来(ねごろ)衆と戦った際、道成寺から持ち出し、その後戦利品として京都に持ち帰り、妙満寺へ納められたと伝えられ、鐘には「正平十四(1359)年」の年号が刻まれています。妙満寺は、康応元(1389)年の創建で、600年近く洛中にありましたが、昭和43年、寺町二条から現在地に移りました。本坊にある「雪の庭」は、俳諧(はいかい)の祖と仰がれる松永貞徳の作と伝え、清水寺成就院の「月の庭」、北野成就院の「花の庭」(今はない)とあわせ「雪 月 花」の三名園といわれています。
更新日:2013年7月3日
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歌舞伎舞踊『娘道成寺(むすめどうじょうじ)』で知られる「安珍(あんちん)・清姫(きよひめ)ゆかりの鐘」が、展示室に納めてあ …[続きを読む]
更新日 : 2013年7月3日
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みやけはちまんぐう三宅八幡宮
推古天皇の時代に小野妹子(おののいもこ)が遣隋使(けんずいし)として出発する際、九州の筑紫で病にかかり、宇佐(うさ)八幡宮に祈願したら回復しました。帰国後、宇佐八幡を迎えたのが始まりと伝えます。鳥居の前には狛犬(こまいぬ)ではなく「狛鳩」が置かれています。また虫八幡ともいわれ子どもの夜泣き・疳の虫(かんのむし)封じにご利益があるとされ、疳の虫が治ったお礼参りの行列を描いた大絵馬(京都市有形民俗文化財)があります。
更新日:2016年9月14日
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推古天皇の時代に小野妹子(おののいもこ)が遣隋使(けんずいし)として出発する際、九州の筑紫で病にかかり、宇佐(うさ)八幡宮 …[続きを読む]
更新日 : 2016年9月14日
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みぞろがいけ深泥池
都会の中に、地球が氷河期だった約2万年も前の生物が生き残っている池があるなんて信じられますか周囲約1・5キロ、水深は最も深いところでも2メートル。その池の3分の1を占める浮島が、氷河期以来の貴重な水生植物の命を今日まで守ってきたのです。島はミズゴケなど植物が腐敗せず、長い間積もってできました。世界でただ一種の水生グモも生息しています。この池の生物群集は国の天然記念物に指定されています。どんな植物が自生しているのか、自分の目で確かめてください。
更新日:2007年3月15日
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都会の中に、地球が氷河期だった約2万年も前の生物が生き残っている池があるなんて信じられますか周囲約1・5キロ、水深は最も深 …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日
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まんしゅいんもんぜき曼殊院門跡
境内を真っ赤に染める春のツツジ、秋の紅葉が美しいお寺です。最澄(さいちょう)が比叡山に建てた仏教の道場が起こりとされ、平安後期には「曼殊院」と呼ばれるようになりました。江戸時代の初めに良尚法親王(りょうしょうほうしんのう)により現在地に移転。細かいところまでこだわった建物や庭園には、法親王の父・智仁(としひと)親王が別荘として建てた桂離宮(かつらりきゅう)をほうふつさせる力強さと上品さが漂っています。
更新日:2007年3月17日
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境内を真っ赤に染める春のツツジ、秋の紅葉が美しいお寺です。最澄(さいちょう)が比叡山に建てた仏教の道場が起こりとされ、平安 …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月17日
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まつがさきだいこくてん(みょうえんじ)松ヶ崎大黒天(妙円寺)
大文字五山送り火のうち、「妙法」の「法」の字が燃える山の真下にあります。江戸時代初め、1616年に北野にある立本寺の第12世だった日英が、都の表鬼門(きもん)にあたるこの地に寺を建立しました。大黒堂にまつられた大黒天は、都七福神まいりの一つとして信仰されています。またこの大黒さん、昭和44の火事でお堂は焼けたのに無事だったことから「火中出現 火伏守護(ひぶせしゅご)の大黒さま」とあがめられています。
更新日:2016年9月6日
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大文字五山送り火のうち、「妙法」の「法」の字が燃える山の真下にあります。江戸時代初め、1616年に北野にある立本寺の第12 …[続きを読む]
更新日 : 2016年9月6日
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ほうせんいん宝泉院
比叡山のふもと大原は声明(しょうみょう)の里といわれ、この寺も天台宗の声明の道場として建てられた勝林院の僧坊でした。江戸時代に再建された書院の天井は、伏見城で鳥居元忠(とりいもとただ)徳川武将らが自刃した廊下を供養のため移築、血天井と呼ばれるものです。客殿の柱と柱の間から鑑賞する庭は「額縁庭園」と呼ばれ、部屋から望む鶴亀庭園は、池の形が鶴、築山が亀、サザンカの古木が蓬莱山(ほうらいさん)を表しています。
更新日:2016年9月14日
- 〒601-1241 京都市左京区大原勝林院町187
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京都バス「大原」下車徒歩15分
- TEL: 075-744-2409
- FAX: 075-744-2912
- URL: http://www.hosenin.net/
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【時間】9時〜17時(受付終了は16時30分) ※無休
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比叡山のふもと大原は声明(しょうみょう)の里といわれ、この寺も天台宗の声明の道場として建てられた勝林院の僧坊でした。江戸時 …[続きを読む]
更新日 : 2016年9月14日
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ただすのもり糺の森
糺の森は世界文化遺産、下鴨神社の森で、賀茂川(かもがわ)と高野川(たかのがわ)が合流する三角地帯にうっそうと茂る森です。東京ドームのおよそ3倍の広さがあります。昔、京都に都がうつされる前、この辺りは湖と森林に覆われていました。ここは、その時代の木が残っている貴重な森です。ケヤキ、エノキ、シイ、ムクなど40種ほどの大きな木がおよそ4700本生えています。昆虫や野鳥、キノコの宝庫でもあり、たくさんの人が観察にやって来ます。
更新日:2007年3月15日
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糺の森は世界文化遺産、下鴨神社の森で、賀茂川(かもがわ)と高野川(たかのがわ)が合流する三角地帯にうっそうと茂る森です。東 …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日
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だいとくじ大徳寺
鎌倉時代に大燈国師(だいとうこくし)が開いた禅寺で、東西800メートル、南北500メートルの広さを誇っています。応仁の乱(おうにんのらん)で焼けた後に、一休禅師(いっきゅうぜんじ)が建てなおしました。狩野探幽(かのうたんゆう)がかいた襖絵(ふすまえ)をはじめ、すぐれた作品が多くあります。豊臣秀吉(とよとみひでよし)が織田信長(おだのぶなが)の葬儀をここで行いました。三門(さんもん)は金毛閣(きんもうかく)といい、千利休(せんのりきゅう)が自らの木像を置いたために秀吉の怒りをかったことは有名です。
更新日:2007年3月16日
- 〒603-8231 京都市北区紫野大徳寺町53
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市バス「大徳寺前」下車徒歩すぐ
- TEL: 075-491-0019
- URL: http://www.rinnou.net/cont_03/07daitoku/index.html
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鎌倉時代に大燈国師(だいとうこくし)が開いた禅寺で、東西800メートル、南北500メートルの広さを誇っています。応仁の乱( …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月16日