きょうと修学旅行ナビ

見学スポット

文化財鑑賞の手引き

建築物の見方

寺院、神社など、京都には見るべき建築物がたくさんあります。建築様式などを知った上でそれらを見ると、もっと興味がわいてきます。

唐様・新和様・折衷様

寺院【和様・大仏様・唐様・折衷様】

 建てられた時代や宗派によって、建物のつくりやその建物である伽藍(がらん)の配置が異なるので、訪れる際には時代と宗派を必ずチェックしましょう。
 建築様式には鎌倉時代に中国の宋から入った大仏様と唐様(からよう=禅宗様)があり、大仏様は奈良の東大寺を再建するために使われました。それ以前の様式は和様(わよう)といわれています。鎌倉時代に和様に大仏様の一部を取り入れた新和様が生まれ、千本釈迦堂、醍醐寺金堂などがそうです。より繊細で複雑な唐様建築としては東福寺禅堂、大徳寺仏殿、妙心寺法堂などがあります。
 やがて、唐様に大仏様を交えた東福寺三門のように、2つ以上の様式を備えた折衷様(せっちゅうよう)が増えていきます。

流造・八幡造・春日造・祇園造

神社【流造・八幡造・春日造・祇園造】

 奈良時代以前の古代は、森や山に神さまをお迎えして、村の集まりの場としたので、神社の社殿などはなかったのですが、奈良時代ごろから社殿建築が発達、寺院建築の影響も受け、次第に多様化しました。
 上賀茂神社、下鴨神社は「流造(ながれづくり)」という、ふたつの傾斜面が山形に合わさった形の切妻(きりづま)屋根の一方が拝むところまで長く伸びたスタイルです。宇治上(うじかみ)神社はその最古のもの。伏見稲荷大社本殿は正面が五間もある「五間社流造」。
 2棟の切妻造が平行につながった「八幡(はちまん)造」の本殿をもつのは石清水(いわしみず)八幡宮。「春日(かすが)造」は奈良の春日大社にならったもので、その分霊をまつったという大原野神社には、春日大社とほぼ同形の社殿が4棟並んでいます。八坂神社本殿は「祇園造」といわれ、仏教建築の影響を強く受けた上部は切妻のように2方向にこう配を持ち、下部は四方へこう配をもつ入母屋(いりもや)造の大堂です。
 北野天満宮にみられる本殿、拝殿を石の間で連結した「権現造」、松尾大社における母屋の前後両側にひさしがある両流造の「松尾造」など数多くあります。

庭園の見方

 平安時代、寝殿造りで貴族の館がつくられるようになるとともに、庭園づくりも発展してきました。室町時代以降は仏教の影響を受け、庭に思想や教えを表現しています。
 庭の楽しみ方としては、決められた場所から鑑賞する方法(鑑賞式)、庭園の中に入り散策する方法(回遊式)、庭の中の池に舟を浮かべて舟から鑑賞する方法(舟遊式)などがあります。庭園に合った鑑賞方法で、庭に秘められた先人たちの思いに触れてみましょう。

滝・石橋・築山

代表的な庭園形式~池泉回遊式庭園

 大きな池を中心にした庭を歩きながら鑑賞するスタイルの庭園を「池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)」と呼び、鎌倉時代までのほとんどの庭園がこの形式です。
 人工的な山の築山(つきやま)や岩組み、雑木林などをつくり変化に富ませ、池にそそぐ川や滝、橋や飛び石を配して、移り変わる景色を楽しみます。室町時代以降、大規模なものが多いのも特徴です。
 二条城の二の丸庭園、平安神宮神苑、桂離宮、金閣寺、天龍寺、仁和寺などが有名です。

石組み・砂紋・築山

代表的な庭園形式~枯山水庭園

 枯山水(かれさんすい)庭園は室町時代に、禅宗の影響を受けてつくられた庭園様式です。
 水を使わず白砂の模様(砂紋)で川や海原を表現し、石組みで山や島、生物などを表しています。砂と石とわずかな苔だけを使ってつくられた庭を石庭と呼びます。自然を象徴的に表現した枯山水は、「観(み)る」というより「対話する」庭、といわれ、観る人によって自由に解釈できる面白さを持っています。
 龍安寺石庭をはじめ、大徳寺大仙院、妙心寺退蔵院、南禅寺などがあります。

阿弥陀堂(鳳凰堂)・池(阿字池)

その他のポイント~浄土庭園

 「お釈迦様がなくなられた後、2千年を経過すると、1万年間は仏教が衰える」という予言的思想の末法(まっぽう)思想が、平安時代後期に流行しました。それにともなって「池泉舟遊式」といわれる平安貴族の屋敷の庭が、浄土(じょうど)宗の寺院の庭園にも用いられるようになり、浄土庭園へと発展しました。
 自然の地形になるべく手を加えず、池、島、橋、阿弥陀堂などを配し、極楽浄土の世界を表現しており、平等院がその代表的なものです。

ひさしが額ぶち・遠景は比叡山・近景は枯山水庭園

その他のポイント~借景庭園

 借景(しゃっけい)庭園は山や森などの自然の風景を、庭の一部に取り込んだ様式です。
 広い縁側(えんがわ)と深いひさしがあるため、敷地内の庭と遠方の風景が、額縁(がくぶち)に入れた一枚の絵のように見えます。円通寺の庭園は比叡山の借景で有名ですが、もともとは後水尾(ごみずのお)天皇の離宮であり、天皇はいろいろな場所を巡って、ようやくこの地を探し当てたといわれています。しかし、この地は水を取り入れられず、大きな池泉庭園を造ることができないため、その後、後水尾上皇は比叡山のふもとに見事な借景と壮大さで知られる修学院離宮を造りました。
 東山を借景にした無鄰菴(むりんあん)、嵐山を借景にした天龍寺などがあり、自然に恵まれた京都にふさわしい様式といえます。

仏像の見方

 京都の寺院には、国宝を含む、数多くの仏像がまつられています。多くの人々が敬い、拝んできた仏様。やさしいお顔をされていたり、ときには怖いお顔をしていたり。仏様の種類や意味を知ると、お寺がもっと興味深くなります。

光背・肉けい・螺髪・白豪・三道・法衣・蓮華・台座

如来

 「如来(にょらい)」は、仏様の中でも最高の位です。
 悟(さと)りを開いたお釈迦(しゃか)様の姿を表わしているので、着衣は簡素。基本的に装飾品を身につけません。頭部は頭頂部がふくらんだ鏡もちのようなかたち(肉けい)で、螺髪(らほつ=小さくカールした髪の毛)をつけた独特のヘアスタイルをしていて、額には白毫(びゃくごう=みけんにある右巻きの白毛。伸ばすと4メートル以上になる)があります。
 釈迦如来をはじめ、極楽往生の信仰を集める阿弥陀(あみだ)如来、密教の中心仏である大日(だいにち)如来、人々を病苦から救う薬師(やくし)如来などがあります。

宝冠・光背・胸飾・腕釧

菩薩

 「菩薩(ぼさつ)」は、「悟りを求めるもの」という意味で、如来を目指して修行中の者、ということです。
 菩薩の姿は出家する前のお釈迦様をモデルとしているため、頭には冠などを飾り、体には美しい装飾品を飾っています。立像、坐像などスタイルや顔もさまざま。観音菩薩は人々を「苦」から救い「楽」を与える観世音菩薩の略で、複数の手や顔を持つ像もあります。基本形である聖(しょう)観音をはじめ、千の手を持つ千手(せんじゅ)観音、11の顔を持つ十一面観音など33の姿に変化して人々を救います。
 身近にある「お地蔵さん」は子どもを守り、地獄におちた人々を救う地蔵菩薩。半迦思惟(はんかしい)像で有名な弥勒(みろく)菩薩、知恵を象徴する文殊(もんじゅ)菩薩、お釈迦様の教えを手助けする普賢(ふげん)菩薩などがあり、人々に親しまれ、仏像彫刻の中で、もっとも優れた作品が多いのも菩薩像です。

火炎光背・武器(三鈷柄剣)・忿怒相・腕釧・羂索

明王

 明王(みょうおう)は、人間界と仏の世界をへだてる天界の炎の世界に住み、人間界の欲望などが仏界へ影響しないよう炎で焼きつくすといわれます。
 火焔光背(かえんこうはい)、逆立って炎のような焔髪(えんぱつ)、手には武器を持ち恐ろしい「忿怒相(ふんぬそう)」をしています。明王の忿怒相は、仏教に逆らったり、信仰を否定しようとする者への怒りも表しています。激しい怒りで悪を払い、その者を救済しようとしており、単に怖いだけではなくそこには慈悲の心も感じられます。おさげ髪が特徴の不動明王は、修行中の人を守る「身代わり不動」などとしても信仰されてきました。

天部

 天部(てんぶ)とは天上界に住む者という意味。仏教成立以前の古代インドの神々を仏教に取り入れ、仏教を守護する守り神としました。その数は200以上といわれ、役割や姿、表情もそれぞれ違います。
 大きく分けて、神将像としてヒンズー教の最高神である梵天(ぼんてん)・帝釈天(たいしゃくてん)、仏像を安置する壇の四方を固める四天王〔持国天(じこくてん)、増長天(ぞうちょうてん)、広目天(こうもくてん)、多聞天(たもんてん)〕、大黒天など福をもたらすとして信仰される七福神、仁王として知られる金剛力士、地獄の主神で死者の生前の罪を裁くといわれる閻魔(えんま)などがあります。天女像としては七福神のうちの弁財天、その美しさで有名な吉祥天などがあります。