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117件中 31~40件を表示 (4/12ページ)
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じょうなんぐう城南宮
平安時代、白河上皇(しらかわじょうこう)、鳥羽上皇(とばじょうこう)によってつくられた院御所(いんごしょ)が鳥羽離宮(とばりきゅう)と呼ばれていました。御堂(みどう)、塔(とう)などもありましたが、現在はほとんどが失われてありません。離宮をまもる神社(今の城南宮)だけが残りました。京都の西南部に位置していることから、今では方除け(ほうよけ)の神として信仰を集めています。境内には美しい名園・楽水苑(らくすいえん)があります。
更新日:2016年6月17日
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平安時代、白河上皇(しらかわじょうこう)、鳥羽上皇(とばじょうこう)によってつくられた院御所(いんごしょ)が鳥羽離宮(とば …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月17日
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だいごじ醍醐寺
貞観(じょうがん)16(874)年に、理源大師・聖宝(りげんだいし・しょうぼう)が醍醐山上に庵を建てたのが始まりです。醍醐寺には古い建物が多くあり、三宝院は平安時代に、醍醐寺第14世座主勝覚(しょうかく)が開きました。庭園は「醍醐の花見」のときに、秀吉が自分で設計したといわれ、聚楽第(じゅらくだい)から運んだ石などを配置した桃山時代の代表的な名園です。平成6年世界文化遺産(せかいぶんかいさん)に登録されました。
更新日:2016年6月17日
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貞観(じょうがん)16(874)年に、理源大師・聖宝(りげんだいし・しょうぼう)が醍醐山上に庵を建てたのが始まりです。醍醐 …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月17日
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じしゅじんじゃ地主神社
創建年代は、日本建国以前という古い歴史のある神社で、清水寺の本堂北の一段高い所にあります。社殿(しゃでん)は清水寺の本堂と同じく江戸幕府3代将軍徳川家光が再建しました。本殿、拝殿、総門、境内地は国の重要文化財に指定され、世界文化遺産(せかいぶんかいさん)にも登録されています。拝殿の天井の龍は、狩野元信(かのうもとのぶ)がかいたものです。サクラの名所としても有名です。現在は縁結びの神として知られ、境内には縄文時代から伝わり、恋の成就を占うことで知られる「恋占いの石」があります。
更新日:2016年6月17日
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創建年代は、日本建国以前という古い歴史のある神社で、清水寺の本堂北の一段高い所にあります。社殿(しゃでん)は清水寺の本堂と …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月17日
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やすいこんぴらぐう安井金比羅宮
蓮華光院(れんげこういん)が讃岐(さぬき)の金比羅宮から大物主神を迎えて鎮守社としましたが、明治の神仏分離で独立し、戦後、現在の名称になりました。保元の乱で讃岐に配流となった崇徳(すとく)上皇、以仁(もちひと)王の乱で敗死した源頼政(よりまさ)をまつっています。絵馬の奉納で知られ、絵馬館に多くの絵馬が展示されています。断ち物の祈願所として有名で、境内には縁切りと縁結びの碑があり、悪縁を絶って良縁を結ぶというご利益があるとされています。
更新日:2016年6月15日
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蓮華光院(れんげこういん)が讃岐(さぬき)の金比羅宮から大物主神を迎えて鎮守社としましたが、明治の神仏分離で独立し、戦後、 …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月15日
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やさかじんじゃ八坂神社
もともとは祇園社(ぎおんしゃ)、感神院(かんしんいん)といい、八坂神社という名前は明治になってからつけられたものです。7世紀ごろに建てられ、スサノオノミコトをまつっています。やくよけの神様として広く信仰を集めました。今の本殿や西楼門(にしろうもん)はともに重要文化財です。八坂神社の祇園祭は日本三大祭りのひとつで、7月17日の山鉾巡行(やまほこじゅんこう)はごうかけんらん、全国からたくさんの人が見物にきます。また、大みそかのをけら詣りでも有名です。
更新日:2016年6月14日
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もともとは祇園社(ぎおんしゃ)、感神院(かんしんいん)といい、八坂神社という名前は明治になってからつけられたものです。7世 …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月14日
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ろくどうちんのうじ六道珍皇寺
京のお盆は、先祖の御霊(みたま)をこの世に呼ぶ珍皇寺の「迎え鐘」で始まります。この地は平安時代、葬送の地だった鳥辺野の入り口にあたることから、あの世とこの世の境界にあたる「六道の辻」といい、寺も「六道さん」と呼ばれています。本堂裏の井戸は、昼は嵯峨天皇、夜は閻魔さんに仕えた小野篁(たかむら)が、冥土(めいど)通いをした出入り口だという伝説があり、お堂に篁の像が安置されています。寺の近くに怖い話が残る「幽霊子育飴(ゆうれいこそだてあめ)」を売る店もあります。
更新日:2016年6月14日
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京のお盆は、先祖の御霊(みたま)をこの世に呼ぶ珍皇寺の「迎え鐘」で始まります。この地は平安時代、葬送の地だった鳥辺野の入り …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月14日
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ちょうらくじ長楽寺
円山公園の東にあります。源平最後の戦いとなった壇ノ浦合戦で、安徳天皇の母・建礼門院(平清盛の娘)は、海に飛び込みますが源氏の兵に助けられます。京に連れてこられた門院は、この寺で髪をおろして出家、後に大原・寂光院で平家一門の菩提を弔います。境内に供養塔があり、尼姿の肖像画と幼くして亡くなった安徳天皇の衣を縫い直した幡(ばん=仏事につかう旗)が伝わっています。境内には儒学者として有名な頼(らい)山陽親子の墓があります。
更新日:2016年6月14日
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円山公園の東にあります。源平最後の戦いとなった壇ノ浦合戦で、安徳天皇の母・建礼門院(平清盛の娘)は、海に飛び込みますが源氏 …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月14日
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せんにゅうじ泉涌寺
天皇や皇后のお墓があり皇室とのゆかりが深いことから、「御寺(みてら)」と呼ばれています。平安時代の初め、弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)がこの地に庵を結んだのが始まり。その後の寺院建築の際、境内に清水がわき出たことから「泉涌寺」の名がつきました。観音堂の楊貴妃観音(ようきひかんのん)は世界三大美人の一人・楊貴妃がモデルといわれ、うっとりするような顔立ち。美人祈願・良縁成就のご利益があるとして若い女性に人気です。
更新日:2016年6月14日
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天皇や皇后のお墓があり皇室とのゆかりが深いことから、「御寺(みてら)」と呼ばれています。平安時代の初め、弘法大師空海(こう …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月14日
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ちおいんいん知恩院
鎌倉時代に法然上人(ほうねんしょうにん)が住み、念仏の教えをといたところです。徳川幕府の三代の将軍、家康(いえやす)・秀忠(ひでただ)・家光(いえみつ)により、現在の場所に建てられました。高さ24メートル幅50メートルの国宝の三門や国宝御影堂を始めとして、経蔵など重要文化財の宝庫です。知恩院7不思議があり、御影堂裏に紹介コーナーがあります。
更新日:2016年6月14日
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鎌倉時代に法然上人(ほうねんしょうにん)が住み、念仏の教えをといたところです。徳川幕府の三代の将軍、家康(いえやす)・秀忠 …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月14日
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ろざんじ廬山寺
平安時代、紫式部(むらさきしきぶ)がこの地に住み、「源氏物語」を書き上げたといわれます。境内には白い砂と緑のコケが鮮やかな「源氏の庭」があり、庭園には「紫式部邸宅址」の石碑があります。お寺を開いたのは延暦寺(えんりゃくじ)の僧・元三大師(がんざんだいし)。大師の鬼退治にちなんで節分に行われる「鬼法楽」は、紅白の豆と福もちなどの威力に追われて、鬼が逃げ去り、悪霊退散(あくりょうたいさん)をお祈りするユニークな行事です。
更新日:2016年6月10日
- 〒602-0852 京都市上京区寺町通広小路上ル1丁目北之辺町397
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市バス「府立医大病院前」下車徒歩3分
- TEL: 075-231-0355
- FAX: 075-231-1357
- URL: http://www7a.biglobe.ne.jp/~rozanji/
- E-MAIL: rozanji@ktf.biglobe.ne.jp
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【時間】9時〜16時
※無休
源氏庭の拝観休み:1月1日・2月1日〜2月9日・12月31日
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平安時代、紫式部(むらさきしきぶ)がこの地に住み、「源氏物語」を書き上げたといわれます。境内には白い砂と緑のコケが鮮やかな …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月10日