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ろざんじ廬山寺
平安時代、紫式部(むらさきしきぶ)がこの地に住み、「源氏物語」を書き上げたといわれます。境内には白い砂と緑のコケが鮮やかな「源氏の庭」があり、庭園には「紫式部邸宅址」の石碑があります。お寺を開いたのは延暦寺(えんりゃくじ)の僧・元三大師(がんざんだいし)。大師の鬼退治にちなんで節分に行われる「鬼法楽」は、紅白の豆と福もちなどの威力に追われて、鬼が逃げ去り、悪霊退散(あくりょうたいさん)をお祈りするユニークな行事です。
更新日:2016年6月10日
- 〒602-0852 京都市上京区寺町通広小路上ル1丁目北之辺町397
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市バス「府立医大病院前」下車徒歩3分
- TEL: 075-231-0355
- FAX: 075-231-1357
- URL: http://www7a.biglobe.ne.jp/~rozanji/
- E-MAIL: rozanji@ktf.biglobe.ne.jp
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【時間】9時〜16時
※無休
源氏庭の拝観休み:1月1日・2月1日〜2月9日・12月31日
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更新日 : 2016年6月10日
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らくびじゅつかん樂美術館
樂焼は桃山時代初め、樂家の初代長次郎によって始められました。樂焼の名は秀吉の邸宅である「聚樂第(じゅらくだい)」の樂の字を秀吉から授かったことからと伝わっています。樂家玄関は犬矢来(いぬやらい)と出格子(でごうし)の典型的な京町家のしっとりした雰囲気。その奥に「樂焼御ちゃわん屋」ののれんが掛かっています。その樂家の隣りに美術館が建っています。館内では初代長次郎から現当主15代までの茶碗の名品や、茶道具、文書などを展示しています。
更新日:2016年6月3日
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らいさんようしょさいさんしすいめいしょ頼山陽書斎山紫水明處
鴨川のたもとに生垣に囲まれたかやぶきの民家が見えます。江戸時代後期に学者や詩人として活躍した頼山陽が、晩年この地に住まいを構え、敷地内に建てた書斎です。ここから見える東山の山並みの美しさと、前を流れる鴨川の清らかさを「山紫水明」と言い表して書斎の名にしました。山陽は、文人などと幅広い交友関係を持ち、サロンのような場所となりました。有名な歴史書の「日本外史(にほんがいし)」はこの書斎で執筆されました。
更新日:2016年6月29日
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更新日 : 2016年6月29日
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もとりきゅうにじょうじょう元離宮二条城
1603年に徳川家康が造った城です。3代将軍家光が伏見城の遺構を移すなどして、現在のような大きさになりました。東西約600メートル、南北約400メートルの広さで、堀に囲まれています。京都御所の守護と将軍が京都へ来たときの宿泊所として造られました。徳川慶喜(よしのぶ)が大政奉還の意思を表明したのもここです。二の丸御殿(国宝)は武家風書院造りの代表的な建物。狩野(かのう)一門が描いた障壁画「松鷹図(まつたかず)」が有名です。平成6年には世界文化遺産(せかいぶんかいさん)に登録されました。
更新日:2022年8月30日
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1603年に徳川家康が造った城です。3代将軍家光が伏見城の遺構を移すなどして、現在のような大きさになりました。東西約600 …[続きを読む]
更新日 : 2022年8月30日
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みょうれんじ妙蓮寺
鎌倉時代、1294年に造り酒屋「柳屋」の主人仲興(なかおき)が日蓮(にちれん)の弟子・日像(にちぞう)にお願いし、屋敷内にお堂を建てたのがはじまりです。屋号から柳寺ともいわれ、山号の卯木山(うぼくさん)は「柳」の字を二つに分けたものです。1587年に現在の場所に移転しました。「十六羅漢(じゅうろくらかん)の庭」と呼ばれる枯山水の庭などは拝観できますが、有名な長谷川等伯(はせがわとうはく)一派の筆による障壁画は収蔵庫に保管されているため事前予約が必要です。
更新日:2016年6月10日
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鎌倉時代、1294年に造り酒屋「柳屋」の主人仲興(なかおき)が日蓮(にちれん)の弟子・日像(にちぞう)にお願いし、屋敷内に …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月10日
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みぶでら壬生寺
新選組ゆかりのお寺として有名です。近くに新選組屯所(とんしょ)があったため、隊士たちの訓練場にもなりました。境内の壬生塚には、近藤勇(こんどういさみ)の像や隊士のお墓があります。お寺ができたのは平安時代。三井寺の僧がこの地にお地蔵さんをまつったのが起こりです。春・秋と節分に行われる「壬生狂言(みぶきょうげん)」は京の三大念仏狂言の一つで、仮面をつけた演者が、カンデンデンというかねや太鼓、笛の音に合わせ、一切無言で演じます。
更新日:2016年6月10日
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新選組ゆかりのお寺として有名です。近くに新選組屯所(とんしょ)があったため、隊士たちの訓練場にもなりました。境内の壬生塚に …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月10日
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みぶかいわい壬生界わい
古くから湧き水が多く水生(みぶ)と書かれたこともありました。昔は京都近郊の農村地帯で、京の伝統野菜の壬生菜(みぶな)の生産地でした。壬生大念仏狂言で有名な壬生寺もこの地域にあります。幕末には新選組(しんせんぐみ)の屯所(とんしょ)が置かれ、近藤勇(こんどういさみ)や土方歳三(ひじかたとしぞう)らがここを拠点に京の町に出かけて勤皇(きんのう)の志士と戦いました。屯所跡の八木邸が公開されており、刀傷の残る部屋などが見学できます。
更新日:2007年4月6日
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古くから湧き水が多く水生(みぶ)と書かれたこともありました。昔は京都近郊の農村地帯で、京の伝統野菜の壬生菜(みぶな)の生産 …[続きを読む]
更新日 : 2007年4月6日
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ますとみちがくかいかん益富地学会館
足元の石から地球の歴史を教わったり、不思議を感じたりするのが地学という学問です。益富寿之助(ますとみかずのすけ)という地学が大好きな人が、面白い学問を次代の人に伝えようと造った資料館です。ここには世界中の鉱物、化石、岩石などが展示されています。コンニャク石(曲がる石)、恐竜の卵やウンチの化石、南極の石、エベレスト山の頂上の石など、いろんな石に出合えます。鉱物鑑定士の試験もあるから挑戦してみましょう。
更新日:2016年9月6日
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更新日 : 2016年9月6日
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ほんのうじ本能寺
明智光秀(あけちみつひで)が天下統一目前の織田信長(おだのぶなが)を攻め、自害させた「本能寺の変」で知られています。当時実際に本能寺があったのは現在の場所よりもっと西、四条西洞院あたりでした。光秀の襲撃で焼け落ちたお寺は、再建の途中、1592年に豊臣秀吉により転地命令を受け、現在地に移転。翌年に再建が完了しました。境内には織田信長一族や森蘭丸(もりらんまる)などの供養塔が残り、毎年6月第1土・日は信長をしのぶお祭りも行われています。
更新日:2016年6月10日
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明智光秀(あけちみつひで)が天下統一目前の織田信長(おだのぶなが)を攻め、自害させた「本能寺の変」で知られています。当時実 …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月10日
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ほうきょうじ(にんぎょうのてら)宝鏡寺(人形の寺)
通称「人形寺」で知られる尼門跡寺院です。後水尾天皇(ごみずのおてんのう)の皇女が入寺してから尼御所となり、このあたりの地名から百々御所(どどごしょ)とも呼ばれました。近くを流れる小川に架かる百々橋をはさみ、応仁の乱では東西両軍が激戦を交わした地です。橋の礎石がすぐ側に置かれています。光格天皇が大切にしていた人形をはじめ、皇室ゆかりの多くの御所人形を所蔵しています。春と秋に華やかで可愛い品々を展示する「人形展」が開かれます。
更新日:2016年6月10日
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通称「人形寺」で知られる尼門跡寺院です。後水尾天皇(ごみずのおてんのう)の皇女が入寺してから尼御所となり、このあたりの地名 …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月10日