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ほうこうじ方広寺
豊臣秀吉(とよとみひでよし)が1586年、東大寺大仏より大きい高さ19メートルの大仏と高さ50メートルの大仏殿をつくりました。しかし10年後、地震で大仏は壊れました。秀吉の遺志を継いだ子の秀頼が1614年に大仏を造りますが、今度は寺の鐘に刻まれた「国家安康・君臣豊楽」の文字は「家康の2字を離し、豊臣の2字を続けるのは徳川家への反逆」と家康が、言いがかりをつけました。これが要因となって大坂冬・夏の陣に突入、豊臣家は滅亡します。境内に豊臣家滅亡のきっかけとなった鐘と巨石が残されています。
更新日:2016年6月17日
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豊臣秀吉(とよとみひでよし)が1586年、東大寺大仏より大きい高さ19メートルの大仏と高さ50メートルの大仏殿をつくりまし …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月17日
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ほうかんじ法観寺
京都の人には「八坂の塔」と呼ばれ、親しまれています。東山の夕景に映える高さ46メートルの五重塔がシンボルマークです。聖徳太子が建てたと伝えられ、この地に住んだ渡来人(とらいじん)・八坂氏ゆかりの寺とみられています。当初はたくさんの建物がある大きな寺でしたが、現在は塔と小さなお堂が残るだけです。塔内部は拝観可能で、仏像のほか、上階からは東山の絶景を楽しむことができます。
更新日:2016年6月17日
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京都の人には「八坂の塔」と呼ばれ、親しまれています。東山の夕景に映える高さ46メートルの五重塔がシンボルマークです。聖徳太 …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月17日
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いまくまのかんのんじ今熊野観音寺
皇室の菩提所(ぼだいしょ)で御寺(みてら)と呼ばれる泉涌寺(せんにゅうじ)の塔頭(たっちゅう)で、西国三十三所観音霊場第15番札所です。お年寄りには「ぼけ封じ」、子どもには「子護大師(こまもりだいし)」の信仰で知られ、紅葉が美しい寺です。境内には開祖・弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)ゆかりの井戸「五智水(ごちすい)」が今もこんこんとわいています。
更新日:2016年6月17日
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皇室の菩提所(ぼだいしょ)で御寺(みてら)と呼ばれる泉涌寺(せんにゅうじ)の塔頭(たっちゅう)で、西国三十三所観音霊場第1 …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月17日
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だいごじ醍醐寺
貞観(じょうがん)16(874)年に、理源大師・聖宝(りげんだいし・しょうぼう)が醍醐山上に庵を建てたのが始まりです。醍醐寺には古い建物が多くあり、三宝院は平安時代に、醍醐寺第14世座主勝覚(しょうかく)が開きました。庭園は「醍醐の花見」のときに、秀吉が自分で設計したといわれ、聚楽第(じゅらくだい)から運んだ石などを配置した桃山時代の代表的な名園です。平成6年世界文化遺産(せかいぶんかいさん)に登録されました。
更新日:2016年6月17日
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貞観(じょうがん)16(874)年に、理源大師・聖宝(りげんだいし・しょうぼう)が醍醐山上に庵を建てたのが始まりです。醍醐 …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月17日
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じしゅじんじゃ地主神社
創建年代は、日本建国以前という古い歴史のある神社で、清水寺の本堂北の一段高い所にあります。社殿(しゃでん)は清水寺の本堂と同じく江戸幕府3代将軍徳川家光が再建しました。本殿、拝殿、総門、境内地は国の重要文化財に指定され、世界文化遺産(せかいぶんかいさん)にも登録されています。拝殿の天井の龍は、狩野元信(かのうもとのぶ)がかいたものです。サクラの名所としても有名です。現在は縁結びの神として知られ、境内には縄文時代から伝わり、恋の成就を占うことで知られる「恋占いの石」があります。
更新日:2016年6月17日
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創建年代は、日本建国以前という古い歴史のある神社で、清水寺の本堂北の一段高い所にあります。社殿(しゃでん)は清水寺の本堂と …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月17日
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やすいこんぴらぐう安井金比羅宮
蓮華光院(れんげこういん)が讃岐(さぬき)の金比羅宮から大物主神を迎えて鎮守社としましたが、明治の神仏分離で独立し、戦後、現在の名称になりました。保元の乱で讃岐に配流となった崇徳(すとく)上皇、以仁(もちひと)王の乱で敗死した源頼政(よりまさ)をまつっています。絵馬の奉納で知られ、絵馬館に多くの絵馬が展示されています。断ち物の祈願所として有名で、境内には縁切りと縁結びの碑があり、悪縁を絶って良縁を結ぶというご利益があるとされています。
更新日:2016年6月15日
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蓮華光院(れんげこういん)が讃岐(さぬき)の金比羅宮から大物主神を迎えて鎮守社としましたが、明治の神仏分離で独立し、戦後、 …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月15日
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やさかじんじゃ八坂神社
もともとは祇園社(ぎおんしゃ)、感神院(かんしんいん)といい、八坂神社という名前は明治になってからつけられたものです。7世紀ごろに建てられ、スサノオノミコトをまつっています。やくよけの神様として広く信仰を集めました。今の本殿や西楼門(にしろうもん)はともに重要文化財です。八坂神社の祇園祭は日本三大祭りのひとつで、7月17日の山鉾巡行(やまほこじゅんこう)はごうかけんらん、全国からたくさんの人が見物にきます。また、大みそかのをけら詣りでも有名です。
更新日:2016年6月14日
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もともとは祇園社(ぎおんしゃ)、感神院(かんしんいん)といい、八坂神社という名前は明治になってからつけられたものです。7世 …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月14日
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ろくどうちんのうじ六道珍皇寺
京のお盆は、先祖の御霊(みたま)をこの世に呼ぶ珍皇寺の「迎え鐘」で始まります。この地は平安時代、葬送の地だった鳥辺野の入り口にあたることから、あの世とこの世の境界にあたる「六道の辻」といい、寺も「六道さん」と呼ばれています。本堂裏の井戸は、昼は嵯峨天皇、夜は閻魔さんに仕えた小野篁(たかむら)が、冥土(めいど)通いをした出入り口だという伝説があり、お堂に篁の像が安置されています。寺の近くに怖い話が残る「幽霊子育飴(ゆうれいこそだてあめ)」を売る店もあります。
更新日:2016年6月14日
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京のお盆は、先祖の御霊(みたま)をこの世に呼ぶ珍皇寺の「迎え鐘」で始まります。この地は平安時代、葬送の地だった鳥辺野の入り …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月14日
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ちょうらくじ長楽寺
円山公園の東にあります。源平最後の戦いとなった壇ノ浦合戦で、安徳天皇の母・建礼門院(平清盛の娘)は、海に飛び込みますが源氏の兵に助けられます。京に連れてこられた門院は、この寺で髪をおろして出家、後に大原・寂光院で平家一門の菩提を弔います。境内に供養塔があり、尼姿の肖像画と幼くして亡くなった安徳天皇の衣を縫い直した幡(ばん=仏事につかう旗)が伝わっています。境内には儒学者として有名な頼(らい)山陽親子の墓があります。
更新日:2016年6月14日
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円山公園の東にあります。源平最後の戦いとなった壇ノ浦合戦で、安徳天皇の母・建礼門院(平清盛の娘)は、海に飛び込みますが源氏 …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月14日
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せんにゅうじ泉涌寺
天皇や皇后のお墓があり皇室とのゆかりが深いことから、「御寺(みてら)」と呼ばれています。平安時代の初め、弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)がこの地に庵を結んだのが始まり。その後の寺院建築の際、境内に清水がわき出たことから「泉涌寺」の名がつきました。観音堂の楊貴妃観音(ようきひかんのん)は世界三大美人の一人・楊貴妃がモデルといわれ、うっとりするような顔立ち。美人祈願・良縁成就のご利益があるとして若い女性に人気です。
更新日:2016年6月14日
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天皇や皇后のお墓があり皇室とのゆかりが深いことから、「御寺(みてら)」と呼ばれています。平安時代の初め、弘法大師空海(こう …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月14日