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らいさんようしょさいさんしすいめいしょ頼山陽書斎山紫水明處
鴨川のたもとに生垣に囲まれたかやぶきの民家が見えます。江戸時代後期に学者や詩人として活躍した頼山陽が、晩年この地に住まいを構え、敷地内に建てた書斎です。ここから見える東山の山並みの美しさと、前を流れる鴨川の清らかさを「山紫水明」と言い表して書斎の名にしました。山陽は、文人などと幅広い交友関係を持ち、サロンのような場所となりました。有名な歴史書の「日本外史(にほんがいし)」はこの書斎で執筆されました。
更新日:2016年6月29日
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鴨川のたもとに生垣に囲まれたかやぶきの民家が見えます。江戸時代後期に学者や詩人として活躍した頼山陽が、晩年この地に住まいを …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月29日
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きょうとしれきししりょうかん京都市歴史資料館
京都の歴史に関する資料が集められています。まず1階に入ると、コンパクトな展覧会が開催されているので、面白い京都の歴史と出合えるかもしれません。2階の閲覧室には、史料や図書が所蔵されており、写真や絵図なども閲覧できます。京都の歴史に関する簡単な相談も行っていますので、遠慮なくたずねてください。真ん前は自然いっぱいの京都御苑です。
更新日:2016年6月29日
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せいめいじんじゃ晴明神社
平安時代のすぐれた陰陽師(おんみょうじ)・安倍晴明(あべのせいめい)をまつっています。陰陽師とは、物事の良し悪しを占い、天皇や大臣に伝える人のこと。今でいえばカリスマ占い師です。この場所にはかつて安倍晴明の屋敷があり、晴明の活躍をたたえて、一条天皇がその跡地に神社を建てたといわれています。境内には飲むと病気が治るという「晴明井」などがあり、晴明の不思議な力に願いを託す人たちでにぎわっています。
更新日:2016年6月10日
- 〒602-8222 京都市上京区堀川通一条上る晴明町
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市バス「一条戻橋・晴明神社前」下車徒歩2分
- TEL: 075-441-6460
- FAX: 075-415-0050
- URL: http://www.seimeijinja.jp/
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【時間】9時〜18時
※無休
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平安時代のすぐれた陰陽師(おんみょうじ)・安倍晴明(あべのせいめい)をまつっています。陰陽師とは、物事の良し悪しを占い、天 …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月10日
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ちょうほうじ(ろっかくどう)頂法寺(六角堂)
本堂が六角形をしていることから「六角堂」と呼ばれています。聖徳太子が創建したと伝わるとても歴史のあるお寺で、室町時代ごろからは町民たちの集会所としての役割も持ち始めました。頂法寺の立つ位置は京都のちょうど真ん中にあたるとされ、それを示す「へそ石」が境内に残っています。いけばな発祥の地としても知られ、隣接して華道家元(かどういえもと)・池坊(いけのぼう)があります。
更新日:2016年6月10日
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更新日 : 2016年6月10日
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ぎょうがんじ(こうどう)行願寺(革堂)
寺を開いた行円(ぎょうえん)は、以前は猟師で、あるとき山中で鹿を射とめたところ、腹から小鹿が出てきました。後悔した行円は僧になり、その皮を衣にして念仏を唱えて修行したそうです。その姿から皮聖(かわのひじり)と呼ばれ、寺の名になりました。京都の町衆(まちしゅう)の集会所だった町堂(ちょうどう・まちどう)の役割と、西国三十三所札所としての信仰を集めてきました。行円が着たという鹿皮が寺に伝えられています。
更新日:2016年6月10日
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寺を開いた行円(ぎょうえん)は、以前は猟師で、あるとき山中で鹿を射とめたところ、腹から小鹿が出てきました。後悔した行円は僧 …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月10日
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しょうこくじ相国寺
花の御所(はなのごしょ)と呼ばれた室町幕府3代将軍足利義満(あしかがよしみつ)の邸宅の東に造営されました。高さが109メートルもあった七重の塔は落雷で焼失、建物も応仁の乱で焼けてしまいます。のちに豊臣秀頼や徳川家康らの寄進で再建されました。法堂(はっとう)の天井に描かれた狩野光信(かのうみつのぶ)筆の大きな龍は、音に共鳴する「鳴き龍」として有名です。伊藤若冲(じゃくちゅう)や長谷川等伯(とうはく)などの絵画を展示している境内の承天閣美術館は必見ものです。
更新日:2016年6月10日
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花の御所(はなのごしょ)と呼ばれた室町幕府3代将軍足利義満(あしかがよしみつ)の邸宅の東に造営されました。高さが109メー …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月10日
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みぶでら壬生寺
新選組ゆかりのお寺として有名です。近くに新選組屯所(とんしょ)があったため、隊士たちの訓練場にもなりました。境内の壬生塚には、近藤勇(こんどういさみ)の像や隊士のお墓があります。お寺ができたのは平安時代。三井寺の僧がこの地にお地蔵さんをまつったのが起こりです。春・秋と節分に行われる「壬生狂言(みぶきょうげん)」は京の三大念仏狂言の一つで、仮面をつけた演者が、カンデンデンというかねや太鼓、笛の音に合わせ、一切無言で演じます。
更新日:2016年6月10日
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新選組ゆかりのお寺として有名です。近くに新選組屯所(とんしょ)があったため、隊士たちの訓練場にもなりました。境内の壬生塚に …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月10日
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みょうれんじ妙蓮寺
鎌倉時代、1294年に造り酒屋「柳屋」の主人仲興(なかおき)が日蓮(にちれん)の弟子・日像(にちぞう)にお願いし、屋敷内にお堂を建てたのがはじまりです。屋号から柳寺ともいわれ、山号の卯木山(うぼくさん)は「柳」の字を二つに分けたものです。1587年に現在の場所に移転しました。「十六羅漢(じゅうろくらかん)の庭」と呼ばれる枯山水の庭などは拝観できますが、有名な長谷川等伯(はせがわとうはく)一派の筆による障壁画は収蔵庫に保管されているため事前予約が必要です。
更新日:2016年6月10日
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鎌倉時代、1294年に造り酒屋「柳屋」の主人仲興(なかおき)が日蓮(にちれん)の弟子・日像(にちぞう)にお願いし、屋敷内に …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月10日
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らくびじゅつかん樂美術館
樂焼は桃山時代初め、樂家の初代長次郎によって始められました。樂焼の名は秀吉の邸宅である「聚樂第(じゅらくだい)」の樂の字を秀吉から授かったことからと伝わっています。樂家玄関は犬矢来(いぬやらい)と出格子(でごうし)の典型的な京町家のしっとりした雰囲気。その奥に「樂焼御ちゃわん屋」ののれんが掛かっています。その樂家の隣りに美術館が建っています。館内では初代長次郎から現当主15代までの茶碗の名品や、茶道具、文書などを展示しています。
更新日:2016年6月3日
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すみやもてなしのぶんかびじゅつかん角屋もてなしの文化美術館
角屋は島原開設当初の寛永18年(1641)から連綿と建物・家督を維持しつづけ、江戸期の饗宴もてなしの文化の場である揚屋建築の唯一の遺構として、昭和27年(1952)に国の重要文化財に指定されました。
揚屋とは、江戸期の書物の中で、客を「饗(もてな)すを業とする也」と定義されているところによると、江戸期の民間の大型宴会場でした。大座敷に面した広庭に必ずお茶席を配するとともに、庫裏と同規模の台所を備えていることを重要な特徴としています。
所蔵美術品では、昭和58年(1983)に蕪村筆「紅白梅図屏風」が重要文化財に指定されました。また、平成元年(1989)には財団法人角屋保存会が設立され、平成10年度からは「角屋もてなしの文化美術館」を開設、角屋の建物自体と併せて所蔵美術品などを展示・公開しています。平成22年には角屋の庭が「京都市指定名勝」に指定されました。
更新日:2016年6月3日
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角屋は島原開設当初の寛永18年(1641)から連綿と建物・家督を維持しつづけ、江戸期の饗宴もてなしの文化の場である揚屋建築 …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月3日