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117件中 11~20件を表示 (2/12ページ)
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やすいこんぴらぐう安井金比羅宮
蓮華光院(れんげこういん)が讃岐(さぬき)の金比羅宮から大物主神を迎えて鎮守社としましたが、明治の神仏分離で独立し、戦後、現在の名称になりました。保元の乱で讃岐に配流となった崇徳(すとく)上皇、以仁(もちひと)王の乱で敗死した源頼政(よりまさ)をまつっています。絵馬の奉納で知られ、絵馬館に多くの絵馬が展示されています。断ち物の祈願所として有名で、境内には縁切りと縁結びの碑があり、悪縁を絶って良縁を結ぶというご利益があるとされています。
更新日:2016年6月15日
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蓮華光院(れんげこういん)が讃岐(さぬき)の金比羅宮から大物主神を迎えて鎮守社としましたが、明治の神仏分離で独立し、戦後、 …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月15日
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やさかじんじゃ八坂神社
もともとは祇園社(ぎおんしゃ)、感神院(かんしんいん)といい、八坂神社という名前は明治になってからつけられたものです。7世紀ごろに建てられ、スサノオノミコトをまつっています。やくよけの神様として広く信仰を集めました。今の本殿や西楼門(にしろうもん)はともに重要文化財です。八坂神社の祇園祭は日本三大祭りのひとつで、7月17日の山鉾巡行(やまほこじゅんこう)はごうかけんらん、全国からたくさんの人が見物にきます。また、大みそかのをけら詣りでも有名です。
更新日:2016年6月14日
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もともとは祇園社(ぎおんしゃ)、感神院(かんしんいん)といい、八坂神社という名前は明治になってからつけられたものです。7世 …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月14日
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みょうれんじ妙蓮寺
鎌倉時代、1294年に造り酒屋「柳屋」の主人仲興(なかおき)が日蓮(にちれん)の弟子・日像(にちぞう)にお願いし、屋敷内にお堂を建てたのがはじまりです。屋号から柳寺ともいわれ、山号の卯木山(うぼくさん)は「柳」の字を二つに分けたものです。1587年に現在の場所に移転しました。「十六羅漢(じゅうろくらかん)の庭」と呼ばれる枯山水の庭などは拝観できますが、有名な長谷川等伯(はせがわとうはく)一派の筆による障壁画は収蔵庫に保管されているため事前予約が必要です。
更新日:2016年6月10日
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鎌倉時代、1294年に造り酒屋「柳屋」の主人仲興(なかおき)が日蓮(にちれん)の弟子・日像(にちぞう)にお願いし、屋敷内に …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月10日
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みょうまんじ妙満寺
歌舞伎舞踊『娘道成寺(むすめどうじょうじ)』で知られる「安珍(あんちん)・清姫(きよひめ)ゆかりの鐘」が、展示室に納めてあります。豊臣秀吉が紀州の根来(ねごろ)衆と戦った際、道成寺から持ち出し、その後戦利品として京都に持ち帰り、妙満寺へ納められたと伝えられ、鐘には「正平十四(1359)年」の年号が刻まれています。妙満寺は、康応元(1389)年の創建で、600年近く洛中にありましたが、昭和43年、寺町二条から現在地に移りました。本坊にある「雪の庭」は、俳諧(はいかい)の祖と仰がれる松永貞徳の作と伝え、清水寺成就院の「月の庭」、北野成就院の「花の庭」(今はない)とあわせ「雪 月 花」の三名園といわれています。
更新日:2013年7月3日
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歌舞伎舞踊『娘道成寺(むすめどうじょうじ)』で知られる「安珍(あんちん)・清姫(きよひめ)ゆかりの鐘」が、展示室に納めてあ …[続きを読む]
更新日 : 2013年7月3日
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みょうしんじ妙心寺
室町時代の初め、1342年花園上皇が関山慧玄(かんざんえげん)を招いて開いたお寺です。応仁の乱で多くの堂塔を焼失しましたが、武将細川勝元(ほそかわかつもと)らの援助で再興しました。その後、豊臣、徳川家をはじめ諸大名が信仰するようになり栄えました。南から三門、仏殿(ぶつでん)、法堂(はっとう)などの伽藍(がらん)が並びます。法堂の天井には狩野探幽が描いた雲龍図があります。国宝の黄鐘調鐘(おうじきちょうしょう)や重要文化財に指定されている明智風呂(あけちぶろ)と呼ばれるむしぶろ形式の浴室(よくしつ)が今も残っています。
更新日:2020年10月16日
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室町時代の初め、1342年花園上皇が関山慧玄(かんざんえげん)を招いて開いたお寺です。応仁の乱で多くの堂塔を焼失しましたが …[続きを読む]
更新日 : 2020年10月16日
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みやけはちまんぐう三宅八幡宮
推古天皇の時代に小野妹子(おののいもこ)が遣隋使(けんずいし)として出発する際、九州の筑紫で病にかかり、宇佐(うさ)八幡宮に祈願したら回復しました。帰国後、宇佐八幡を迎えたのが始まりと伝えます。鳥居の前には狛犬(こまいぬ)ではなく「狛鳩」が置かれています。また虫八幡ともいわれ子どもの夜泣き・疳の虫(かんのむし)封じにご利益があるとされ、疳の虫が治ったお礼参りの行列を描いた大絵馬(京都市有形民俗文化財)があります。
更新日:2016年9月14日
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推古天皇の時代に小野妹子(おののいもこ)が遣隋使(けんずいし)として出発する際、九州の筑紫で病にかかり、宇佐(うさ)八幡宮 …[続きを読む]
更新日 : 2016年9月14日
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みぶでら壬生寺
新選組ゆかりのお寺として有名です。近くに新選組屯所(とんしょ)があったため、隊士たちの訓練場にもなりました。境内の壬生塚には、近藤勇(こんどういさみ)の像や隊士のお墓があります。お寺ができたのは平安時代。三井寺の僧がこの地にお地蔵さんをまつったのが起こりです。春・秋と節分に行われる「壬生狂言(みぶきょうげん)」は京の三大念仏狂言の一つで、仮面をつけた演者が、カンデンデンというかねや太鼓、笛の音に合わせ、一切無言で演じます。
更新日:2016年6月10日
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新選組ゆかりのお寺として有名です。近くに新選組屯所(とんしょ)があったため、隊士たちの訓練場にもなりました。境内の壬生塚に …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月10日
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まんぷくじ萬福寺
入り口では、まるで竜宮城のような真っ赤な門がお出迎え。インゲンマメを伝えた中国明の僧・隠元禅師(いんげんぜんじ)が江戸時代の初めに開いたお寺で、黄檗宗(おうばくしゅう)の大本山です。江戸時代中ごろまで、住職がすべて中国の僧だったため、建物やその配置、儀式などに影響を与えていて、境内にも中国のような雰囲気が漂います。廊下に吊るされた、時を知らせるための開梛(かいぱん=木製の魚)も必見。とってもかわいいお寺の人気者です。
更新日:2016年6月10日
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まんしゅいんもんぜき曼殊院門跡
境内を真っ赤に染める春のツツジ、秋の紅葉が美しいお寺です。最澄(さいちょう)が比叡山に建てた仏教の道場が起こりとされ、平安後期には「曼殊院」と呼ばれるようになりました。江戸時代の初めに良尚法親王(りょうしょうほうしんのう)により現在地に移転。細かいところまでこだわった建物や庭園には、法親王の父・智仁(としひと)親王が別荘として建てた桂離宮(かつらりきゅう)をほうふつさせる力強さと上品さが漂っています。
更新日:2007年3月17日
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境内を真っ赤に染める春のツツジ、秋の紅葉が美しいお寺です。最澄(さいちょう)が比叡山に建てた仏教の道場が起こりとされ、平安 …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月17日
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まつがさきだいこくてん(みょうえんじ)松ヶ崎大黒天(妙円寺)
大文字五山送り火のうち、「妙法」の「法」の字が燃える山の真下にあります。江戸時代初め、1616年に北野にある立本寺の第12世だった日英が、都の表鬼門(きもん)にあたるこの地に寺を建立しました。大黒堂にまつられた大黒天は、都七福神まいりの一つとして信仰されています。またこの大黒さん、昭和44の火事でお堂は焼けたのに無事だったことから「火中出現 火伏守護(ひぶせしゅご)の大黒さま」とあがめられています。
更新日:2016年9月6日
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大文字五山送り火のうち、「妙法」の「法」の字が燃える山の真下にあります。江戸時代初め、1616年に北野にある立本寺の第12 …[続きを読む]
更新日 : 2016年9月6日