見学スポットの検索結果
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ねねのみちねねの道
東山の高台寺の門前を中心に南北に延びる石畳の道です。「ねねの道」と呼ぶのは、高台寺が秀吉の正妻・北政所(きたのまんどころ)「ねね」ゆかりの寺であることからです。円山公園の南側から霊山観音(りょうぜんかんのん)の参道までの約460メートルで、平成10年に整備されました。京情緒が漂う周囲の風景を壊さないように、電線を地中に埋め、石畳を敷いて景観保護に努められています。ねねの道の途中には、高い石垣が連なる石塀小路(いしべこうじ)があり、南に下れば清水寺に向かう二年坂や産寧(さんねい)坂に続く、人気の高い散策路です。
更新日:2007年3月15日
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東山の高台寺の門前を中心に南北に延びる石畳の道です。「ねねの道」と呼ぶのは、高台寺が秀吉の正妻・北政所(きたのまんどころ) …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日
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にしじん西陣
京都の北西部に位置する地域の名です。応仁・文明の乱(1467-77)で東軍の細川勝元に対して、西軍の山名宗全がここに本陣をおいたことから地名となりました。その戦いで京は火の海となり、多くの人々や朝廷の織物などを織っていた職人たちも堺など各地に散っていきました。戦乱の後、京に戻ってきた職人たちが、織物業を再開した地が西軍の陣地だったことから、京の織物が西陣織と呼ばれるようになり全国に広がりました。
更新日:2007年3月15日
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京都の北西部に位置する地域の名です。応仁・文明の乱(1467-77)で東軍の細川勝元に対して、西軍の山名宗全がここに本陣を …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日
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にしきいちば錦市場
京都の人たちには「にしき」の呼び名で親しまれる錦市場。約400年前に開設されたといわれています。
錦小路通(にしきこうじどおり)のうち寺町通(てらまちどおり)から高倉通(たかくらどおり)までの約400メートルの両側に130軒あまりのお店がぎっしり並んでいます。京料理の料亭や割烹だけでなく、おばんざいと言われる京都の家庭料理にも使われる新鮮な野菜、魚など旬の食材が一堂に集まってきます。京都独特の食文化にふれるのは他の場所では味わえない魅力です。近年は京都ならではのグルメやスイーツなどを取り扱う店舗も増え、幅広い層が楽しめるスポットになっています。なお、「食べながら市場の中を歩くことは、ご遠慮いただいております。」とのことなので「買ったお店の前で食べる」「お店の中で食べる」を守りましょう。
更新日:2023年11月17日
- URL: https://www.kyoto-nishiki.or.jp/
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各店舗の情報を確認のこと
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京都の人たちには「にしき」の呼び名で親しまれる錦市場。約400年前に開設されたといわれています。
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更新日 : 2023年11月17日
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てつがくのみち哲学の道
東山のふもとの若王子橋(にゃくおうじばし)から銀閣寺橋(ぎんかくじばし)までの約1.5キロの疏水(そすい)べりの小道のことを哲学の道といいます。疏水(そすい)とは琵琶湖(びわこ)から引かれた水路のことです。西田幾多郎(にしだきたろう)という哲学者がよくこの道を散歩したことからこの名前がついたといわれています。春はサクラの名所として有名ですが、初夏には都会では珍しいホタルの姿も見られます。道沿いには京都らしいおみやげもの屋さんもあり、哲学者でなくてもブラブラと散歩したくなる道です。
更新日:2007年3月15日
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東山のふもとの若王子橋(にゃくおうじばし)から銀閣寺橋(ぎんかくじばし)までの約1.5キロの疏水(そすい)べりの小道のこと …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日
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ちよのふるみち千代の古道
右京区の常盤(ときわ)や山越(やまごえ)から嵯峨大覚寺に至る小道です。今から1200年前の平安時代、天皇や貴族が都から嵯峨院(今の大覚寺)へ通った道です。牛車(ぎっしゃ)に揺られ、途中で歌を詠んだりお弁当を広げ、現在の花見やピクニックを楽しむように歩いたことでしょう。そして大覚寺の大沢池や嵐山の大堰(おおい)川で船を浮かべ、雅楽(ががく)を楽しんだそうです。途中に田園風景が広がり、道標もあるので面白い発見があるかもしれませんよ。
更新日:2007年3月15日
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右京区の常盤(ときわ)や山越(やまごえ)から嵯峨大覚寺に至る小道です。今から1200年前の平安時代、天皇や貴族が都から嵯峨 …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日
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ただすのもり糺の森
糺の森は世界文化遺産、下鴨神社の森で、賀茂川(かもがわ)と高野川(たかのがわ)が合流する三角地帯にうっそうと茂る森です。東京ドームのおよそ3倍の広さがあります。昔、京都に都がうつされる前、この辺りは湖と森林に覆われていました。ここは、その時代の木が残っている貴重な森です。ケヤキ、エノキ、シイ、ムクなど40種ほどの大きな木がおよそ4700本生えています。昆虫や野鳥、キノコの宝庫でもあり、たくさんの人が観察にやって来ます。
更新日:2007年3月15日
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糺の森は世界文化遺産、下鴨神社の森で、賀茂川(かもがわ)と高野川(たかのがわ)が合流する三角地帯にうっそうと茂る森です。東 …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日
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たかせがわ・いちのふないり高瀬川・一ノ船入
高瀬川は江戸時代のはじめ角倉了以(すみのくらりょうい)が大阪との物資輸送のため開いた運河です。江戸時代から大正時代までこの川を使っての「高瀬船(たかせぶね)」が物を運ぶのに大活躍していました。今でも木屋町二条(きやまちにじょう)に「一之船入(いちのふないり)」と呼ばれる荷物の揚げ降ろし場が残っていて、そこには船の模型が飾られ、浅い川に合うように船底が平らにできているのがよく分かります。今は静かな高瀬川の風景ですが、かつてのにぎわいを想像しながら歩いてみましょう。この川を舞台にした森鴎外(もりおおがい)の小説『高瀬舟』も有名です。
更新日:2007年3月15日
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高瀬川は江戸時代のはじめ角倉了以(すみのくらりょうい)が大阪との物資輸送のため開いた運河です。江戸時代から大正時代までこの …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日
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だいもんじやま大文字山
京都の町を囲む山に浮んだ火の文字。夏の風物詩の代表といわれる五山の送り火は、お盆の間帰ってきた先祖の霊を送る行事です。8月16日の午後8時から順に火がともされ、その第一番に点火されるのが、東山連峰・大文字山の「大」の字です。この「大文字」が最もよく知られているので、送り火の代名詞にもなっています。大文字山は標高466メートルで、京都市内の小学生は学校行事で1回は登ります。市内からは火床の「大」の字型がくっきりと見え、雪が降れば白い「大」が山に浮かび上ります。
更新日:2007年3月15日
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京都の町を囲む山に浮んだ火の文字。夏の風物詩の代表といわれる五山の送り火は、お盆の間帰ってきた先祖の霊を送る行事です。8月 …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日
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しんきょうごく新京極
寺町通(平安京の東端・東京極大路)の東にあたり、北は三条通、南は四条通までの短い通りです。新京極は都が東京へ移ったことで、活気をなくした京都に元気を取り戻そうと、明治の初めに造った繁華街がその始まりで、今でも大変にぎわっています。三条通(さんじょうどおり)から四条通(しじょうどおり)の500メートルの間に、飲食店、洋服屋、映画館などが並んでいて、いつも若者でいっぱいです。おみやげもの屋さんが多いため、外国からの旅行者や修学旅行生には特に人気があります。また、もともとこの辺りはお寺が多い所なので、町の真ん中でお寺巡りができるところです。おみやげを探しながら、「新しいもの」と「古いもの」がミックスした京都の良さを味わいましょう。
更新日:2007年3月15日
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寺町通(平安京の東端・東京極大路)の東にあたり、北は三条通、南は四条通までの短い通りです。新京極は都が東京へ移ったことで、 …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日
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しじょうかわらまちかいわい四条河原町界わい
京都で一番にぎわう繁華街。百貨店やファッション専門店、飲食店、映画館などが集まり、老舗(しにせ)と新しいおしゃれな店が同居している一帯です。近くには修学旅行生のメッカといわれる新京極(しんきょうごく)や、京の台所と呼ばれる錦市場(にしきいちば)もあり買い物が楽しめます。また大手私鉄駅が二つと、市バスの系統も多く集まり、交通のターミナル拠点にもなっています。祇園祭の山鉾(やまほこ)はこの四条通と河原町通を巡行、交差点で豪快(ごうかい)な辻回(つじまわ)しが行われます。
更新日:2007年3月15日
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京都で一番にぎわう繁華街。百貨店やファッション専門店、飲食店、映画館などが集まり、老舗(しにせ)と新しいおしゃれな店が同居 …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日