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ののみやじんじゃ野宮神社
平安時代、伊勢神宮につかえる未婚の皇女・斎宮(さいぐう)に選ばれた女性が当時、野宮と呼ばれたこの場所に3年間こもって心身を清める習わしがありました。黒木の鳥居や小柴垣(こしばがき)、苔むした庭などに往時をしのぶことができます。『源氏物語』の「賢木(さかき)の巻」で光源氏が野宮に六条御息所(みやすどころ)を訪れる場面があります。嵯峨野巡りの起点で近年、縁結びのご利益でにぎわっています。
更新日:2016年6月10日
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更新日 : 2016年6月10日
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にんなじ仁和寺
平安時代の中ごろ、宇多天皇が仁和寺をつくり、寺内に御座所(御室=おむろ)を設けたことから、それがいつしか地名となり、今では御室の仁和寺といわれるようになっています。二王門(重文)などは徳川家光が寄進したものです。本尊の阿弥陀三尊像(あみださんぞんぞう)、弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)の書など数多くの国宝があります。平成6年に世界文化遺産(せかいぶんかいさん)に登録されました。また、境内のサクラは「御室の桜」いわれ、嵐山のサクラとともに京都の名所になっています。
更新日:2008年4月30日
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更新日 : 2008年4月30日
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にそんいん二尊院
天台宗のお寺で、本尊に釈迦如来(しゃかにょらい)と阿弥陀如来(あみだにょらい)の二尊をまつるところから二尊院と言われ、正しくは二尊教院華台寺(にそんきょういんけだいじ)といいます。境内には、藤原定家(ふじわらていか)が百人一首を編纂(へんさん)したと伝えられる時雨亭の遺跡があります。総門は伏見城にあった「薬医門(やくいもん)」を移築したもので、風情があります。広い参道は「紅葉の馬場」と呼ばれる紅葉名所にもなっています。
更新日:2016年6月7日
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天台宗のお寺で、本尊に釈迦如来(しゃかにょらい)と阿弥陀如来(あみだにょらい)の二尊をまつるところから二尊院と言われ、正し …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月7日
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とうじいん等持院
室町幕府初代将軍足利尊氏が1341年に夢窓疎石(むそうそせき)をまねいて衣笠山のふもとに開いたお寺です。当初は足利氏の菩提寺である等持寺の別院でしたが、尊氏の死後、墓所になったことから現在の寺名となりました。方丈に面した北庭は夢窓疎石の作で、東の心字(しんじ)池と西の芙蓉(ふよう)池からなり、東庭は室町時代の面影を残しています。書院の東には武家風の茶室清漣亭(せいれんてい)が建っています。霊光殿には足利幕府の歴代将軍の木像が安置されています。
更新日:2007年3月16日
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室町幕府初代将軍足利尊氏が1341年に夢窓疎石(むそうそせき)をまねいて衣笠山のふもとに開いたお寺です。当初は足利氏の菩提 …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月16日
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とうえいうずまさえいがむら東映太秦映画村
日本映画のふるさと京都・太秦に位置する映画のテーマパーク。
時代劇でお馴染みのオープンセットでは、テレビや映画の撮影が行われていることも。
撮影風景はもちろん、撮影の舞台裏などを面白く体感できる。
更新日:2021年3月30日
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てんりゅうじ天龍寺
室町時代に足利尊氏(あしかがたかうじ)が後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の菩提(ぼだい)をとむらうため、夢窓疎石(むそうそせき)のすすめで寺を建てました。たびたびの火災にあって当時の壮大(そうだい)な寺のようすは残っていませんが、曹源池庭園(そうげんちていえん)だけは当時のままで、貴族文化の伝統と禅文化が巧みに融合した美しさがあります。亀山(かめやま)と嵐山(あらしやま)、小倉山(おぐらやま)を借景(しゃっけい)とした池泉回遊式庭園(ちせんかいゆうしきていえん)で有名です。平成6年世界文化遺産(せかいぶんかいさん)に登録されました。
更新日:2016年6月7日
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室町時代に足利尊氏(あしかがたかうじ)が後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の菩提(ぼだい)をとむらうため、夢窓疎石(むそうそせ …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月7日
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ちよのふるみち千代の古道
右京区の常盤(ときわ)や山越(やまごえ)から嵯峨大覚寺に至る小道です。今から1200年前の平安時代、天皇や貴族が都から嵯峨院(今の大覚寺)へ通った道です。牛車(ぎっしゃ)に揺られ、途中で歌を詠んだりお弁当を広げ、現在の花見やピクニックを楽しむように歩いたことでしょう。そして大覚寺の大沢池や嵐山の大堰(おおい)川で船を浮かべ、雅楽(ががく)を楽しんだそうです。途中に田園風景が広がり、道標もあるので面白い発見があるかもしれませんよ。
更新日:2007年3月15日
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右京区の常盤(ときわ)や山越(やまごえ)から嵯峨大覚寺に至る小道です。今から1200年前の平安時代、天皇や貴族が都から嵯峨 …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日
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だんりんじ檀林寺
嵯峨天皇の皇后(檀林皇后)が建立した往時の檀林寺をしのんで、昭和39年に建てられました。かつての檀林寺は、平安時代初期の承和(じょうわ)年間(834-848)に嵯峨殿の旧地に建てられた広大な寺であったと伝えます。唐から僧を招いて開かれたことから、日本で最初の禅門の寺といわれています。野宮神社を過ぎた嵯峨野散策路の途中にある児童公園から当時の礎石が発掘され、その跡と推定されています。
更新日:2016年6月7日
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更新日 : 2016年6月7日
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たきぐちでら滝口寺
『平家物語』にゆかりが深く、高山樗牛(ちょぎゅう)の名作『滝口入道(たきぐちにゅうどう)』で知られるお寺です。御所の滝口の武士・斎藤時頼(ときより)は建礼門院(けんれいもんいん)に仕える横笛に恋をします。しかし父の反対にあい、嵯峨の往生院で出家します。伝え聞いた横笛は寺を訪ねますが、入道は会ってくれません。横笛はやるせない思いを歌によみ、自分の血で石に書き残したあと、近くの大堰川に身を投げたという悲恋が伝わっています。境内にその歌碑が置かれています。
更新日:2016年6月7日
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『平家物語』にゆかりが深く、高山樗牛(ちょぎゅう)の名作『滝口入道(たきぐちにゅうどう)』で知られるお寺です。御所の滝口の …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月7日
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だいかくじ大覚寺
平安時代、嵯峨天皇(さがてんのう)の離宮(りきゅう)をお寺に改めたものです。御影堂(みえどう)、客殿、宸殿(しんでん)、五大堂などがあります。中国の有名な湖になぞらえた大沢の池(おおさわのいけ)で秋に龍頭船(りゅうとうせん)という龍の形をした船をうかべて遊ぶ「観月の夕べ」があります。この寺は華道(かどう)の嵯峨御流(ごりゅう)の家元(いえもと)でもあります。また秋には風情ある嵯峨菊も一般公開しています。南北朝時代に南朝の後亀山天皇と北朝の後小松天皇が争いをやめようと会議を開いたことでも有名です。
更新日:2016年6月7日
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平安時代、嵯峨天皇(さがてんのう)の離宮(りきゅう)をお寺に改めたものです。御影堂(みえどう)、客殿、宸殿(しんでん)、五 …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月7日