文字サイズ
ピックアップ:社寺
観光地名の横にある印刷にチェックをいれることで、情報を一度に印刷することができます。
更新日:2016年9月14日
都の北方の鎮守として創建されました。鞍馬寺の仁王門をくぐり、清少納言が『枕草子』に「近くて遠きもの、鞍馬の九十九(つづら) …[続きを読む]
推古天皇の時代に小野妹子(おののいもこ)が遣隋使(けんずいし)として出発する際、九州の筑紫で病にかかり、宇佐(うさ)八幡宮 …[続きを読む]
水の神をまつる古い神社で、平安時代以降は朝廷から日照りが続いて雨が降ってほしい時には黒い馬を、やんでほしい時には白い馬を献 …[続きを読む]
比叡山のふもと大原は声明(しょうみょう)の里といわれ、この寺も天台宗の声明の道場として建てられた勝林院の僧坊でした。江戸時 …[続きを読む]
江戸の初期、加賀藩の家老今枝近義(いまえだちかよし)が洛中から移したもので、親しかった石川丈山(いしかわじょうざん)、狩野 …[続きを読む]
更新日:2016年9月6日
借景式の枯山水庭園で有名な洛北の寺です。もとは後水尾上皇の幡枝(はたえだ)御殿があったところで、のちに妙心寺派の寺となりま …[続きを読む]
聖徳太子が父・用命天皇(ようめいてんのう)を弔うため開きました。壇ノ浦(だんのうら)の合戦で平家が源氏に敗れ、建礼門院(け …[続きを読む]
大文字五山送り火のうち、「妙法」の「法」の字が燃える山の真下にあります。江戸時代初め、1616年に北野にある立本寺の第12 …[続きを読む]
平安時代は京都の北方を守る寺として信仰を集めていました。本殿の裏から奥の院への山道には、牛若丸(うしわかまる)のちの源義経 …[続きを読む]
大坂夏の陣で命令違反を犯し徳川家康から引退を命令された石川丈山(じょうざん)が、隠居するために建てた庵です。中国の36人の …[続きを読む]
全118件(全12ページ)