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117件中 11~20件を表示 (2/12ページ)
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ちしゃくいん智積院
豊臣秀吉(とよとみひでよし)が、3歳で亡くなった長男・鶴松(つるまつ)を弔うために建てたお寺が起こりとされています。何度も災害にあいましたが、1600年に建て直された際、「智積院」と名付けられました。桃山文化を代表する美しい障壁画と庭園で知られています。中でも、長谷川等伯(はせがわとうはく)らによって描かれた「桜図」「楓図」は国宝に指定され、わが国最高の名作のひとつとされています。
更新日:2018年6月21日
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豊臣秀吉(とよとみひでよし)が、3歳で亡くなった長男・鶴松(つるまつ)を弔うために建てたお寺が起こりとされています。何度も …[続きを読む]
更新日 : 2018年6月21日
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ほうじゅうじ法住寺
後白河法皇の遺骨が納められた法華堂を守ると同時に、身代わり不動尊に対する信仰を集めてきました。明治に後白河天皇陵とお堂が国の管理となり、寺が分離されました。この地は後白河法皇の御所である法住寺殿(どの)があったところ。三十三間堂、新日吉神社、新熊野神社が立ち並ぶ広大なもので、木曾義仲に攻められたこともあります。法皇は、源頼朝から「日本一の大天狗」と皮肉られるような策謀家である半面、芸能を好み、今様を集めて『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』を編集した文化人でした。
更新日:2018年6月21日
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後白河法皇の遺骨が納められた法華堂を守ると同時に、身代わり不動尊に対する信仰を集めてきました。明治に後白河天皇陵とお堂が国 …[続きを読む]
更新日 : 2018年6月21日
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にしほんがんじ西本願寺
鎌倉時代の初め親鸞聖人(しんらんしょうにん)が亡くなり、東山の大谷に納骨され、これを娘の覚信尼が東山吉水の北の辺りに堂を建て、親鸞像を安置した大谷廟堂にはじまります。室町時代の8世蓮如(れんにょ)が、浄土真宗の教えを「御文章」(御文)という形で表現して大衆に受け入れやすくし全国に広がりました。御影堂(ごえいどう)と阿弥陀堂はともに国宝。国宝の飛雲閣(ひうんかく)は秀吉が作った聚楽第(じゅらくだい)の遺構(いこう)≪古いまま今も残っているもの≫とも伝えられています。大書院の庭園は虎渓(こけい)の庭とよばれる枯山水(かれさんすい)の名庭です。平成6年に世界遺産に指定されました。
更新日:2018年6月21日
- 〒600-8358 京都市下京区堀川通花屋町下ル
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市バス「西本願寺前」下車徒歩すぐ
- TEL: 075-371-5181
- URL: http://www.hongwanji.or.jp/
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【時間】5時半〜17時
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鎌倉時代の初め親鸞聖人(しんらんしょうにん)が亡くなり、東山の大谷に納骨され、これを娘の覚信尼が東山吉水の北の辺りに堂を建 …[続きを読む]
更新日 : 2018年6月21日
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とうじ東寺
別名、教王護国寺(きょうおうごこくじ)といいます。796年に桓武(かんむ)天皇が平安京をつくる際に国を守る建物として建てられ、823年に空海(くうかい)のちの弘法大師(こうぼうだいし)に与えられました。重要文化財である講堂には、大日如来(だいにちにょらい)を中心に国宝の五大明王(ごだいみょうおう)など21体の仏像が安置されています。また、境内には高さ約55メートルのわが国最大の五重塔(国宝)があります。平成6年には世界文化遺産(せかいぶんかいさん)に登録されました。
更新日:2018年6月21日
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別名、教王護国寺(きょうおうごこくじ)といいます。796年に桓武(かんむ)天皇が平安京をつくる際に国を守る建物として建てら …[続きを読む]
更新日 : 2018年6月21日
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とうふくじ東福寺
鎌倉時代の初め、摂政の九条道家が都最大の寺を造ろうと、寺の名前を奈良の東大寺(とうだいじ)と興福寺(こうふくじ)にならって、東福寺と名付けられました。大伽藍(だいがらん)で有名でしたが、多くは明治14年の火災で失いましたが、三門(国宝)を初め重文の浴室、東司(とうす=便所)、禅堂など室町時代の禅僧(ぜんそう)の生活を知るための貴重な建築が残っています。境内の通天橋(つうてんきょう)はモミジの名所としても有名です。
更新日:2018年6月21日
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鎌倉時代の初め、摂政の九条道家が都最大の寺を造ろうと、寺の名前を奈良の東大寺(とうだいじ)と興福寺(こうふくじ)にならって …[続きを読む]
更新日 : 2018年6月21日
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さんじゅうさんげんどう三十三間堂
正しくは蓮華王院(れんげおういん)といいます。平安時代、平清盛(たいらのきよもり)が建て、後白河法皇に寄付しました。約120メートルの細長い建物で、堂内の柱と柱の間が33あることから三十三間堂と呼ばれています。中には1001体の千手観音像(せんじゅかんのんぞう)が祭られています。江戸時代にはお堂の縁側で120メートル先の的を射通す、通し矢(とおしや)ちいう競技が盛んに行われ、毎年1月にはそれに因んだ弓道大会が開催されています。
更新日:2018年6月21日
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正しくは蓮華王院(れんげおういん)といいます。平安時代、平清盛(たいらのきよもり)が建て、後白河法皇に寄付しました。約12 …[続きを読む]
更新日 : 2018年6月21日
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ゆきじんじゃ由岐神社
都の北方の鎮守として創建されました。鞍馬寺の仁王門をくぐり、清少納言が『枕草子』に「近くて遠きもの、鞍馬の九十九(つづら)折り」と書いたその急坂の手前にあります。中央の一間が通路になっている割拝殿(わりはいでん)は豊臣秀頼の寄進で、崖(がけ)にそって建てられた懸造(かけづくり)です。10月22日夜に行われる「鞍馬の火祭」は、この神社の例祭。大松明が夜空を焦がす勇壮な祭りで、京の三奇祭の一つです。
更新日:2016年9月14日
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都の北方の鎮守として創建されました。鞍馬寺の仁王門をくぐり、清少納言が『枕草子』に「近くて遠きもの、鞍馬の九十九(つづら) …[続きを読む]
更新日 : 2016年9月14日
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みやけはちまんぐう三宅八幡宮
推古天皇の時代に小野妹子(おののいもこ)が遣隋使(けんずいし)として出発する際、九州の筑紫で病にかかり、宇佐(うさ)八幡宮に祈願したら回復しました。帰国後、宇佐八幡を迎えたのが始まりと伝えます。鳥居の前には狛犬(こまいぬ)ではなく「狛鳩」が置かれています。また虫八幡ともいわれ子どもの夜泣き・疳の虫(かんのむし)封じにご利益があるとされ、疳の虫が治ったお礼参りの行列を描いた大絵馬(京都市有形民俗文化財)があります。
更新日:2016年9月14日
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推古天皇の時代に小野妹子(おののいもこ)が遣隋使(けんずいし)として出発する際、九州の筑紫で病にかかり、宇佐(うさ)八幡宮 …[続きを読む]
更新日 : 2016年9月14日
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きふねじんじゃ貴船神社
水の神をまつる古い神社で、平安時代以降は朝廷から日照りが続いて雨が降ってほしい時には黒い馬を、やんでほしい時には白い馬を献上したそうです。和泉式部(いずみしきぶ)が夫と仲直りをお願いして、その願いがかなったという有名な話もあり、その時よんだ歌をきざんだ歌碑が結社(ゆいのやしろ)の近くに置かれています。縁結びの神として恋愛をいのる人も多く、境内の泉に浮かべると文字が見えてくる「水占(みずうら)みくじ」は人気を集めています。
更新日:2016年9月14日
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水の神をまつる古い神社で、平安時代以降は朝廷から日照りが続いて雨が降ってほしい時には黒い馬を、やんでほしい時には白い馬を献 …[続きを読む]
更新日 : 2016年9月14日
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ほうせんいん宝泉院
比叡山のふもと大原は声明(しょうみょう)の里といわれ、この寺も天台宗の声明の道場として建てられた勝林院の僧坊でした。江戸時代に再建された書院の天井は、伏見城で鳥居元忠(とりいもとただ)徳川武将らが自刃した廊下を供養のため移築、血天井と呼ばれるものです。客殿の柱と柱の間から鑑賞する庭は「額縁庭園」と呼ばれ、部屋から望む鶴亀庭園は、池の形が鶴、築山が亀、サザンカの古木が蓬莱山(ほうらいさん)を表しています。
更新日:2016年9月14日
- 〒601-1241 京都市左京区大原勝林院町187
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京都バス「大原」下車徒歩15分
- TEL: 075-744-2409
- FAX: 075-744-2912
- URL: http://www.hosenin.net/
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【時間】9時〜17時(受付終了は16時30分) ※無休
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比叡山のふもと大原は声明(しょうみょう)の里といわれ、この寺も天台宗の声明の道場として建てられた勝林院の僧坊でした。江戸時 …[続きを読む]
更新日 : 2016年9月14日