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にしじん西陣
京都の北西部に位置する地域の名です。応仁・文明の乱(1467-77)で東軍の細川勝元に対して、西軍の山名宗全がここに本陣をおいたことから地名となりました。その戦いで京は火の海となり、多くの人々や朝廷の織物などを織っていた職人たちも堺など各地に散っていきました。戦乱の後、京に戻ってきた職人たちが、織物業を再開した地が西軍の陣地だったことから、京の織物が西陣織と呼ばれるようになり全国に広がりました。
更新日:2007年3月15日
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京都の北西部に位置する地域の名です。応仁・文明の乱(1467-77)で東軍の細川勝元に対して、西軍の山名宗全がここに本陣を …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日
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ぎおんかいわい祇園界わい
祇園は四条通から北にある祇園新橋(しんばし)と、南側に位置する祇園南とに分けられます。八坂神社の門前町として発達しました。石畳と白川に垂れる柳の葉が風情ある情緒をかもし、途中の巽(たつみ)橋は舞妓(まいこ)さんとセットでテレビでもよく放映されます。伝統的建造物群保存地区に指定されています。祇園南は祇園歌舞練場(かぶれんじょう)はじめ舞妓さんがいるお茶屋さんが点在しています。修学旅行生や外国人に人気の「ギオンコーナー」があります。
更新日:2007年3月15日
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祇園は四条通から北にある祇園新橋(しんばし)と、南側に位置する祇園南とに分けられます。八坂神社の門前町として発達しました。 …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日
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きたのかみしちけん北野上七軒
学問の神様で菅原道真をまつる北野天満宮の側にあります。室町時代に北野天満宮の修築で出た残り木を使って、7軒の茶屋を建てたのがはじまりです。京都ではもっとも古い花街(かがい)です。北野天満宮の境内では出雲阿国(いずものおくに)の「かぶき踊り」が興行されるなど、安土桃山時代から江戸時代にかけて芸能の中心地として栄えました。窓に簾(すだれ)を下ろした古い町家が続く家並みと、上七軒歌舞練場(かぶれんじょう)で4月中旬に行われる「北野をどり」が人気を集めています。
更新日:2007年3月15日
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学問の神様で菅原道真をまつる北野天満宮の側にあります。室町時代に北野天満宮の修築で出た残り木を使って、7軒の茶屋を建てたの …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日
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きょうとえきびる京都駅ビル
観光のまち・京都の新しい顔です。平成9年にできました。東西の長さが470メートルもある大きなビルです。中心に京都駅。そしてデパート、ホテル、劇場、美術館、手塚治虫(てづかおさむ)ワールド、みやげもの店、飲食店などがあります。また長さ90メートル、171段の大階段を上れば大空広場。屋上広場からは京都タワー、西本願寺(にしほんがんじ)、東寺(とうじ)をはじめ市内がパノラマで眺められます。地下にも、お店がたくさんあり、1日ゆっくり楽しめます。
更新日:2007年3月15日
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観光のまち・京都の新しい顔です。平成9年にできました。東西の長さが470メートルもある大きなビルです。中心に京都駅。そして …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日
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しんきょうごく新京極
寺町通(平安京の東端・東京極大路)の東にあたり、北は三条通、南は四条通までの短い通りです。新京極は都が東京へ移ったことで、活気をなくした京都に元気を取り戻そうと、明治の初めに造った繁華街がその始まりで、今でも大変にぎわっています。三条通(さんじょうどおり)から四条通(しじょうどおり)の500メートルの間に、飲食店、洋服屋、映画館などが並んでいて、いつも若者でいっぱいです。おみやげもの屋さんが多いため、外国からの旅行者や修学旅行生には特に人気があります。また、もともとこの辺りはお寺が多い所なので、町の真ん中でお寺巡りができるところです。おみやげを探しながら、「新しいもの」と「古いもの」がミックスした京都の良さを味わいましょう。
更新日:2007年3月15日
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寺町通(平安京の東端・東京極大路)の東にあたり、北は三条通、南は四条通までの短い通りです。新京極は都が東京へ移ったことで、 …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日
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ねねのみちねねの道
東山の高台寺の門前を中心に南北に延びる石畳の道です。「ねねの道」と呼ぶのは、高台寺が秀吉の正妻・北政所(きたのまんどころ)「ねね」ゆかりの寺であることからです。円山公園の南側から霊山観音(りょうぜんかんのん)の参道までの約460メートルで、平成10年に整備されました。京情緒が漂う周囲の風景を壊さないように、電線を地中に埋め、石畳を敷いて景観保護に努められています。ねねの道の途中には、高い石垣が連なる石塀小路(いしべこうじ)があり、南に下れば清水寺に向かう二年坂や産寧(さんねい)坂に続く、人気の高い散策路です。
更新日:2007年3月15日
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東山の高台寺の門前を中心に南北に延びる石畳の道です。「ねねの道」と呼ぶのは、高台寺が秀吉の正妻・北政所(きたのまんどころ) …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日
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ふしみのさかぐら伏見の酒蔵
伏見で酒造りが盛んになったのは豊臣秀吉が伏見城を築き、城下町を造ってからです。江戸初期に角倉了以(すみのくらりょうい)が高瀬川を開き、水運が盛んになった結果、伏見は港町、宿場町として発展しました。それとともに地下水でおいしい水に恵まれた伏見の酒も栄え、全国に流通していきました。その後、衰退した時期もありましたが明治になってびん詰めの酒がヒットして今日に至っています。伏見の町には酒蔵を活用した資料館があり、酒造りの工程や歴史を見ることができます。
更新日:2007年3月15日
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伏見で酒造りが盛んになったのは豊臣秀吉が伏見城を築き、城下町を造ってからです。江戸初期に角倉了以(すみのくらりょうい)が高 …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日
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まるやまこうえん円山公園
なだらかな東山をバックに、京都では一番古い公園です。池や庭園、たくさんの木があり、広さは10万平方メートル。八坂(やさか)神社や知恩院(ちおんいん)とも隣り合っていて、のんびりと散歩に訪れる人がたくさんいます。一年中で一番華やかなのはサクラの時。いま2代目のシダレザクラは70才を超えていますが、大きくて美しく、夜にはかがり火をたいて、眺めます。「祇園(ぎおん)の夜桜(よざくら)」といわれ、京都の春の一番の見どころです。
更新日:2007年3月15日
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なだらかな東山をバックに、京都では一番古い公園です。池や庭園、たくさんの木があり、広さは10万平方メートル。八坂(やさか) …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日
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みぞろがいけ深泥池
都会の中に、地球が氷河期だった約2万年も前の生物が生き残っている池があるなんて信じられますか周囲約1・5キロ、水深は最も深いところでも2メートル。その池の3分の1を占める浮島が、氷河期以来の貴重な水生植物の命を今日まで守ってきたのです。島はミズゴケなど植物が腐敗せず、長い間積もってできました。世界でただ一種の水生グモも生息しています。この池の生物群集は国の天然記念物に指定されています。どんな植物が自生しているのか、自分の目で確かめてください。
更新日:2007年3月15日
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更新日 : 2007年3月15日
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さんねいざか・にねんざかかいわい産寧坂・二年坂界わい
高台寺から清水寺に向かう途中にある通りの名です。産寧坂は三年坂ともいわれます。石段や石畳の道の両側に明治以降の京都の伝統的な町並みが続き、お土産屋さんが軒を連ねています。二年坂を経て産寧坂を通ると清水寺の参道・清水坂に出ます。坂の名前は二年坂は大同2年(807)、三年坂は大同3年に出来たからという説と、清水寺境内の安産祈願の子安観音(こやすかんのん)への参道にあたることから産寧坂と呼ばれるようになったという説があります。伝統的建造物群保存地区に指定されています。
更新日:2007年3月15日
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高台寺から清水寺に向かう途中にある通りの名です。産寧坂は三年坂ともいわれます。石段や石畳の道の両側に明治以降の京都の伝統的 …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日