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ちしゃくいん智積院
豊臣秀吉(とよとみひでよし)が、3歳で亡くなった長男・鶴松(つるまつ)を弔うために建てたお寺が起こりとされています。何度も災害にあいましたが、1600年に建て直された際、「智積院」と名付けられました。桃山文化を代表する美しい障壁画と庭園で知られています。中でも、長谷川等伯(はせがわとうはく)らによって描かれた「桜図」「楓図」は国宝に指定され、わが国最高の名作のひとつとされています。
更新日:2018年6月21日
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更新日 : 2018年6月21日
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ほうじゅうじ法住寺
後白河法皇の遺骨が納められた法華堂を守ると同時に、身代わり不動尊に対する信仰を集めてきました。明治に後白河天皇陵とお堂が国の管理となり、寺が分離されました。この地は後白河法皇の御所である法住寺殿(どの)があったところ。三十三間堂、新日吉神社、新熊野神社が立ち並ぶ広大なもので、木曾義仲に攻められたこともあります。法皇は、源頼朝から「日本一の大天狗」と皮肉られるような策謀家である半面、芸能を好み、今様を集めて『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』を編集した文化人でした。
更新日:2018年6月21日
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更新日 : 2018年6月21日
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とうふくじ東福寺
鎌倉時代の初め、摂政の九条道家が都最大の寺を造ろうと、寺の名前を奈良の東大寺(とうだいじ)と興福寺(こうふくじ)にならって、東福寺と名付けられました。大伽藍(だいがらん)で有名でしたが、多くは明治14年の火災で失いましたが、三門(国宝)を初め重文の浴室、東司(とうす=便所)、禅堂など室町時代の禅僧(ぜんそう)の生活を知るための貴重な建築が残っています。境内の通天橋(つうてんきょう)はモミジの名所としても有名です。
更新日:2018年6月21日
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鎌倉時代の初め、摂政の九条道家が都最大の寺を造ろうと、寺の名前を奈良の東大寺(とうだいじ)と興福寺(こうふくじ)にならって …[続きを読む]
更新日 : 2018年6月21日
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さんじゅうさんげんどう三十三間堂
正しくは蓮華王院(れんげおういん)といいます。平安時代、平清盛(たいらのきよもり)が建て、後白河法皇に寄付しました。約120メートルの細長い建物で、堂内の柱と柱の間が33あることから三十三間堂と呼ばれています。中には1001体の千手観音像(せんじゅかんのんぞう)が祭られています。江戸時代にはお堂の縁側で120メートル先の的を射通す、通し矢(とおしや)ちいう競技が盛んに行われ、毎年1月にはそれに因んだ弓道大会が開催されています。
更新日:2018年6月21日
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正しくは蓮華王院(れんげおういん)といいます。平安時代、平清盛(たいらのきよもり)が建て、後白河法皇に寄付しました。約12 …[続きを読む]
更新日 : 2018年6月21日
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kokokaきょうとしこくさいこうりゅうかいかんkokoka京都市国際交流会館
京都市制100周年と平安建都1200年を前に、国際都市・京都が国際交流の拠点として開館しました。自由に国際交流をしてもらうための交流ロビーがあります。留学生の人たちもよく利用していますので、外国の人たちと気軽に交流できます。このほか内外の文化を紹介するビデオライブラリー、世界各国の辞書、絵本、新聞、雑誌、地図の閲覧ができる図書資料室を備えています。近くには南禅寺や琵琶湖疏水記念館もあり、散策の後の休憩にも最適です。
更新日:2016年6月29日
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きょうととうじきかいかん京都陶磁器会館
この会館がある五条坂(ごじょうざか)付近は、清水焼が誕生したところです。この伝統ある場所で、清水焼の素晴らしさを全国の人に伝え、知ってもらおうと、窯元(焼き物を作る人たち)が集まってつくられました。清水焼の食器、日用陶器や美術品、陶器で作られた人形なども販売しています。いろいろな窯元から出品された清水焼には、手作りの味わいがあります。作品にどんな思いが込められているか、想像しながら見て回るのも楽しいですよ。
更新日:2016年6月29日
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更新日 : 2016年6月29日
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なみかわやすゆきしっぽうきねんかん並河靖之七宝記念館
七宝焼の作家・並河靖之の旧宅を利用してつくられた記念館です。京都に数ある町家の中でも規模が大きい方で、美しい建物の一つです。表から見ると京町家風ですが、中に入るとまるで御殿のような広々とした豪勢な造りになっています。庭は造園家として名高い7代目小川治兵衛(おがわじへい)の作庭。池には大きなニシキゴイが気持ちよさそうに泳いでいます。工房もほぼ当時のまま残っていて見学することができます。
更新日:2016年6月27日
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更新日 : 2016年6月27日
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びわこそすいきねんかん琵琶湖疏水記念館
琵琶湖疏水は、明治中期に琵琶湖から京都まで引かれた水路です。当時の日本の技術で建設することは難しいと言われていましたが、北垣国道第3代京都府知事のもと、大学を卒業したばかりの田辺朔郎(たなべさくろう)が、設計・監督して完成させました。当初は、水車動力の利用運河などの計画でしたが、さまざまな計画変更のなか、水力発電の実用に踏み切ったことで、その電力を用いた路面電車が走り出すなど、東京遷都のため沈みきった京都は活力を取り戻しました。記念館では、当時の工事に関わった人々の苦労をしのばせる資料の展示や、発電に用いた水車も展示しています。
更新日:2016年6月27日
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えんとくいん圓徳院
豊臣秀吉の没後、その妻北政所ねねは「高台院」の号を勅賜(ちょくし)されたのを機縁に高台寺建立を発願し、慶長10年(1605)、秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿とその前庭を山内に移築して移り住んだ。ねね58歳のことであり、77歳で没するまでの19年間をこの地で余生を送り、終焉の地となった。圓徳院はねねの甥、木下利房を開基に木下家の菩提寺として開かれ、高台寺の塔頭とされた。寛永9年、ねねの没後9年目のことである。
更新日:2016年6月17日
- 〒605-0825 京都市東山区高台寺下河原町530
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市バス「東山安井」下車徒歩5分
- TEL: 075-525-0101
- URL: http://www.kodaiji.com/entoku-in/
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【時間】午前10時〜午後5時30分(受付終了は午後5時30分)
※無休 但し、法務により拝観休みになる場合があります。
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豊臣秀吉の没後、その妻北政所ねねは「高台院」の号を勅賜(ちょくし)されたのを機縁に高台寺建立を発願し、慶長10年(1605 …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月17日
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きょうとりょうぜんごこくじんじゃ京都霊山護国神社
江戸時代の終わりから明治時代の初めにかけて、日本を改革するために戦い、命を落とした志士たち1356人の霊がまつられています。中でも有名なのが坂本龍馬(さかもとりょうま)のお墓。小高い山の途中にある龍馬のお墓からの景色は素晴らしく、京都の町がぐるっと見渡せます。龍馬が殺されてから140年たった今でも人気は高く、いつもお花を供えたり、メッセージを書き残す若い人たちが訪れます。
更新日:2016年6月17日
- 〒605-0861 京都市東山区清閑寺霊山町1
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市バス「東山安井」下車徒歩10分
- TEL: 075-561-7124
- FAX: 075-531-0972
- URL: http://www.gokoku.or.jp/
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【営業時間】8時〜17時
【休業日】無休
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江戸時代の終わりから明治時代の初めにかけて、日本を改革するために戦い、命を落とした志士たち1356人の霊がまつられています …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月17日