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みぶかいわい壬生界わい
古くから湧き水が多く水生(みぶ)と書かれたこともありました。昔は京都近郊の農村地帯で、京の伝統野菜の壬生菜(みぶな)の生産地でした。壬生大念仏狂言で有名な壬生寺もこの地域にあります。幕末には新選組(しんせんぐみ)の屯所(とんしょ)が置かれ、近藤勇(こんどういさみ)や土方歳三(ひじかたとしぞう)らがここを拠点に京の町に出かけて勤皇(きんのう)の志士と戦いました。屯所跡の八木邸が公開されており、刀傷の残る部屋などが見学できます。
更新日:2007年4月6日
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- 京都駅・東寺・三十三間堂周辺
- 名所
古くから湧き水が多く水生(みぶ)と書かれたこともありました。昔は京都近郊の農村地帯で、京の伝統野菜の壬生菜(みぶな)の生産 …[続きを読む]
更新日 : 2007年4月6日
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みなみざ南座
四条大橋東詰めにある南座は、建物は何度も建て替えられていますが、桃山風破風(ももやまふうはふ)造りの建物で、国の重要文化財に指定されている日本最古の劇場といえます。出雲阿国(いずものおくに)が鴨川の四条河原で始めた「かぶき踊り」は、人々の人気が高まるにつれ常設の芝居小屋で演じられるようになり、江戸初期には7つの芝居小屋で上演されていました。幕末には北座と南座が残り、明治中期には現在の南座だけが歌舞伎興行の場となりました。毎年12月に顔見世興行が開かれ、役者の名前を勘亭流(かんていりゅう)の書体で書いた看板「まねき」は京の冬の風物詩になっています。
更新日:2007年3月15日
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- 清水寺・祇園周辺
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四条大橋東詰めにある南座は、建物は何度も建て替えられていますが、桃山風破風(ももやまふうはふ)造りの建物で、国の重要文化財 …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日
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みぞろがいけ深泥池
都会の中に、地球が氷河期だった約2万年も前の生物が生き残っている池があるなんて信じられますか周囲約1・5キロ、水深は最も深いところでも2メートル。その池の3分の1を占める浮島が、氷河期以来の貴重な水生植物の命を今日まで守ってきたのです。島はミズゴケなど植物が腐敗せず、長い間積もってできました。世界でただ一種の水生グモも生息しています。この池の生物群集は国の天然記念物に指定されています。どんな植物が自生しているのか、自分の目で確かめてください。
更新日:2007年3月15日
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- 下鴨神社・三千院・鞍馬寺周辺
- 名所
都会の中に、地球が氷河期だった約2万年も前の生物が生き残っている池があるなんて信じられますか周囲約1・5キロ、水深は最も深 …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日
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まるやまこうえん円山公園
なだらかな東山をバックに、京都では一番古い公園です。池や庭園、たくさんの木があり、広さは10万平方メートル。八坂(やさか)神社や知恩院(ちおんいん)とも隣り合っていて、のんびりと散歩に訪れる人がたくさんいます。一年中で一番華やかなのはサクラの時。いま2代目のシダレザクラは70才を超えていますが、大きくて美しく、夜にはかがり火をたいて、眺めます。「祇園(ぎおん)の夜桜(よざくら)」といわれ、京都の春の一番の見どころです。
更新日:2007年3月15日
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- 清水寺・祇園周辺
- 名所
なだらかな東山をバックに、京都では一番古い公園です。池や庭園、たくさんの木があり、広さは10万平方メートル。八坂(やさか) …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日
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ほづがわくだり保津川下り
約400年前、角倉了以(すみのくらりょうい)が保津川を開き、丹波(京都市北隣り)の産物を運ぶ水路にしたことが始まりです。出発点は亀岡で、嵯峨嵐山までの区間、16キロの保津峡(ほづきょう=桂川)を約2時間かけて船下りしていきます。狭い川幅と浅い川底の急流を、竿(さお)と櫂(かい)、船尾の舵(かじ)で巧みに船を操り、奇岩、怪石をうねるように下るスリル満点の観光船です。途中では、春は渓谷(けいこく)に桜が咲き誇り、新緑の頃には岩に張り付くように咲く赤いつつじが彩りを添え、秋には川面(かわも)に映える真っ赤なモミジが色づいていきます。
更新日:2009年3月27日
- TEL: 0771-22-5846
- FAX: 0771-25-1550
- URL: http://www.hozugawakudari.jp/index.html
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- 嵐山・天龍寺・桂周辺
- 名所
約400年前、角倉了以(すみのくらりょうい)が保津川を開き、丹波(京都市北隣り)の産物を運ぶ水路にしたことが始まりです。出 …[続きを読む]
更新日 : 2009年3月27日
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ふしみのさかぐら伏見の酒蔵
伏見で酒造りが盛んになったのは豊臣秀吉が伏見城を築き、城下町を造ってからです。江戸初期に角倉了以(すみのくらりょうい)が高瀬川を開き、水運が盛んになった結果、伏見は港町、宿場町として発展しました。それとともに地下水でおいしい水に恵まれた伏見の酒も栄え、全国に流通していきました。その後、衰退した時期もありましたが明治になってびん詰めの酒がヒットして今日に至っています。伏見の町には酒蔵を活用した資料館があり、酒造りの工程や歴史を見ることができます。
更新日:2007年3月15日
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- 山科・醍醐・伏見周辺
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伏見で酒造りが盛んになったのは豊臣秀吉が伏見城を築き、城下町を造ってからです。江戸初期に角倉了以(すみのくらりょうい)が高 …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日
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ねねのみちねねの道
東山の高台寺の門前を中心に南北に延びる石畳の道です。「ねねの道」と呼ぶのは、高台寺が秀吉の正妻・北政所(きたのまんどころ)「ねね」ゆかりの寺であることからです。円山公園の南側から霊山観音(りょうぜんかんのん)の参道までの約460メートルで、平成10年に整備されました。京情緒が漂う周囲の風景を壊さないように、電線を地中に埋め、石畳を敷いて景観保護に努められています。ねねの道の途中には、高い石垣が連なる石塀小路(いしべこうじ)があり、南に下れば清水寺に向かう二年坂や産寧(さんねい)坂に続く、人気の高い散策路です。
更新日:2007年3月15日
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- 清水寺・祇園周辺
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東山の高台寺の門前を中心に南北に延びる石畳の道です。「ねねの道」と呼ぶのは、高台寺が秀吉の正妻・北政所(きたのまんどころ) …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日
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にしじん西陣
京都の北西部に位置する地域の名です。応仁・文明の乱(1467-77)で東軍の細川勝元に対して、西軍の山名宗全がここに本陣をおいたことから地名となりました。その戦いで京は火の海となり、多くの人々や朝廷の織物などを織っていた職人たちも堺など各地に散っていきました。戦乱の後、京に戻ってきた職人たちが、織物業を再開した地が西軍の陣地だったことから、京の織物が西陣織と呼ばれるようになり全国に広がりました。
更新日:2007年3月15日
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- 二条城・京都御苑・晴明神社周辺
- 名所
京都の北西部に位置する地域の名です。応仁・文明の乱(1467-77)で東軍の細川勝元に対して、西軍の山名宗全がここに本陣を …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日
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にしきいちば錦市場
京都の人たちには「にしき」の呼び名で親しまれる錦市場。約400年前に開設されたといわれています。錦小路通(にしきこうじどおり)のうち寺町通(てらまちどおり)から高倉通(たかくらどおり)までの約400メートルの両側に120軒あまりのお店がぎっしり並んでいます。魚、豆腐製品、漬物、おばんざい(おかず)・・・商店街に今日も元気な「まいど!」「おおきに」の声が飛び交います。最近テレビなどで取り上げられ人気の‘京野菜’のお店にはユニークな形の野菜も並んでいるので、のぞいてみましょう。まさにここは「京の台所」です。
更新日:2007年3月15日
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- 二条城・京都御苑・晴明神社周辺
- 名所
京都の人たちには「にしき」の呼び名で親しまれる錦市場。約400年前に開設されたといわれています。錦小路通(にしきこうじどお …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日
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てつがくのみち哲学の道
東山のふもとの若王子橋(にゃくおうじばし)から銀閣寺橋(ぎんかくじばし)までの約1.5キロの疏水(そすい)べりの小道のことを哲学の道といいます。疏水(そすい)とは琵琶湖(びわこ)から引かれた水路のことです。西田幾多郎(にしだきたろう)という哲学者がよくこの道を散歩したことからこの名前がついたといわれています。春はサクラの名所として有名ですが、初夏には都会では珍しいホタルの姿も見られます。道沿いには京都らしいおみやげもの屋さんもあり、哲学者でなくてもブラブラと散歩したくなる道です。
更新日:2007年3月15日
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- 銀閣寺・平安神宮周辺
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東山のふもとの若王子橋(にゃくおうじばし)から銀閣寺橋(ぎんかくじばし)までの約1.5キロの疏水(そすい)べりの小道のこと …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日