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ろくはらみつじ六波羅蜜寺
空也が鴨川の東に寺を開き、弟子が現在の名前にしました。空也は諸国を歩いて社会事業を行い、身分の上下を問わない「口称(こうしょう)念仏」という布教で町中をまわり、「市の聖(ひじり)」と呼ばれました。その後この一帯は、平安時代末に平家一門の屋敷が立ち並び、鎌倉時代には六波羅探題を置きました。令和館には口から仏が飛び出している有名な空也上人像や平清盛像(ともに重文)が安置されています。12月に行われる「空也踊躍(ゆやく)念仏」が有名です。
更新日:2024年4月2日
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空也が鴨川の東に寺を開き、弟子が現在の名前にしました。空也は諸国を歩いて社会事業を行い、身分の上下を問わない「口称(こうし …[続きを読む]
更新日 : 2024年4月2日
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ろくどうちんのうじ六道珍皇寺
京のお盆は、先祖の御霊(みたま)をこの世に呼ぶ珍皇寺の「迎え鐘」で始まります。この地は平安時代、葬送の地だった鳥辺野の入り口にあたることから、あの世とこの世の境界にあたる「六道の辻」といい、寺も「六道さん」と呼ばれています。本堂裏の井戸は、昼は嵯峨天皇、夜は閻魔さんに仕えた小野篁(たかむら)が、冥土(めいど)通いをした出入り口だという伝説があり、お堂に篁の像が安置されています。寺の近くに怖い話が残る「幽霊子育飴(ゆうれいこそだてあめ)」を売る店もあります。
更新日:2016年6月14日
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京のお盆は、先祖の御霊(みたま)をこの世に呼ぶ珍皇寺の「迎え鐘」で始まります。この地は平安時代、葬送の地だった鳥辺野の入り …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月14日
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りょうぜんれきしかん霊山歴史館
幕末から明治維新にかけては、日本の歴史が大きく動いた時期です。徳川幕府を倒そうとした、坂本龍馬(りょうま)ら勤王の志士が天皇のいる京都に集まり、活動しました。幕府に忠義をつくす新選組がその前にたちはだかり、戦いを繰り広げました。ここには龍馬愛用のピストル(複製)や手紙、龍馬を切った刀、新選組ののぼりなどが展示してあります。歴史で習ったり本で読んだりしたことが、生々しく伝わってきます。模型や3D映像、パソコンクイズ、新選組のコスチュームで撮影できるコーナーもあります。すぐ側に、龍馬と中岡慎太郎(なかおかしんたろう)の墓もあります。
更新日:2016年6月29日
- 〒605-0861 京都市東山区清閑寺霊山町1
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市バス「東山安井」または「清水道」下車徒歩7分
- TEL: 075-531-3773
- FAX: 075-531-3774
- URL: http://www.ryozen-museum.or.jp/
- E-MAIL: office@ryozen-museum.or.jp
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【営業時間】10時〜17時半(受付終了:17時)
【休業日】月曜(祝日の場合は翌日)、年末年始、展示替え日
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りょうぜんかんのんきょうかい霊山観音教会
太平洋戦争で亡くなった人たちの供養のため、昭和30年に民間の篤志家によって建てられました。高さが24メートルもある巨大な白い観音座像は、鉄筋コンクリートで造られ東山連峰の霊山をバックに遠くからでもよく見えます。観音像の内部1階に十一面観音と2階には十二支の守り本尊が安置されています。北の政所(きたのまんどころ=ねね)が、夫の太閤秀吉の菩提を弔うために建てた高台寺境内の南に位置しています。
更新日:2015年11月4日
- 〒605-0825 京都市東山区下河原通八坂鳥居前下ル下河原町526-2
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市バス「東山安井」下車徒歩5分
- TEL: 075-561-2205
- FAX: 075-541-1557
- URL: http://www.ryozen-kwannon.jp/
- E-MAIL: kyoto-higashiyama@ryozen-kwannon.jp
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【時間】8時40分〜16時20分(受付終了:16時)※8月下旬または9月上旬2日間、12/31休み
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- 洛東
- 寺院・神社
- 車椅子で周れる施設
太平洋戦争で亡くなった人たちの供養のため、昭和30年に民間の篤志家によって建てられました。高さが24メートルもある巨大な白 …[続きを読む]
更新日 : 2015年11月4日
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よしだじんじゃ吉田神社
室町時代に吉田兼倶(かねとも)が独自の唯一神道(ゆいいつしんとう=吉田神道)を始め、全国の神社の本山的な存在になりました。2月2日〜4日の節分祭が有名で、参道ぞいには多くの店が軒をつらね、数十万の人がお参りしにぎわいます。この時に行われる「鬼やらい」も広く知られています。近くの京都大学とのかかわりも深く、学生たちの愛唱歌である「くれないもゆる丘の花」の石碑が吉田山山頂にあります。
更新日:2007年3月16日
- 〒606-8311 京都市左京区吉田神楽岡町
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市バス「京大正門前」下車徒歩5分
- TEL: 075-771-3788
- FAX: 075-771-2877
- URL: http://www.geocities.jp/kyoto_yosidajinjya/
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【時間】6時〜18時(夏) 6時半〜17時(冬)(受付終了:16時半)※無休
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- 洛東
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室町時代に吉田兼倶(かねとも)が独自の唯一神道(ゆいいつしんとう=吉田神道)を始め、全国の神社の本山的な存在になりました。 …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月16日
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ようげんいん養源院
豊臣秀吉(とよとみひでよし)の側室淀殿(よどどの)が、父の浅井長政(あさいながまさ)の霊をとむらうために建てた寺院。その後、火災に合い、徳川秀忠(ひでただ)が夫人崇源院(すうげんいん=淀殿の妹)の願いにより、伏見城の一部を移したのが今の本堂。本堂廊下の天井には、伏見城落城のときに廊下で自刃した武士の血のあとが残り、天井に貼って「血天井」といわれています。俵屋宗達(たわらやそうたつ)が描いた杉戸絵や狩野山楽(かのうさんらく)の襖絵(ふすまえ)なども有名なので見てみよう。
更新日:2018年6月21日
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豊臣秀吉(とよとみひでよし)の側室淀殿(よどどの)が、父の浅井長政(あさいながまさ)の霊をとむらうために建てた寺院。その後 …[続きを読む]
更新日 : 2018年6月21日
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やすいこんぴらぐう安井金比羅宮
蓮華光院(れんげこういん)が讃岐(さぬき)の金比羅宮から大物主神を迎えて鎮守社としましたが、明治の神仏分離で独立し、戦後、現在の名称になりました。保元の乱で讃岐に配流となった崇徳(すとく)上皇、以仁(もちひと)王の乱で敗死した源頼政(よりまさ)をまつっています。絵馬の奉納で知られ、絵馬館に多くの絵馬が展示されています。断ち物の祈願所として有名で、境内には縁切りと縁結びの碑があり、悪縁を絶って良縁を結ぶというご利益があるとされています。
更新日:2016年6月15日
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蓮華光院(れんげこういん)が讃岐(さぬき)の金比羅宮から大物主神を迎えて鎮守社としましたが、明治の神仏分離で独立し、戦後、 …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月15日
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やさかじんじゃ八坂神社
もともとは祇園社(ぎおんしゃ)、感神院(かんしんいん)といい、八坂神社という名前は明治になってからつけられたものです。7世紀ごろに建てられ、スサノオノミコトをまつっています。やくよけの神様として広く信仰を集めました。今の本殿や西楼門(にしろうもん)はともに重要文化財です。八坂神社の祇園祭は日本三大祭りのひとつで、7月17日の山鉾巡行(やまほこじゅんこう)はごうかけんらん、全国からたくさんの人が見物にきます。また、大みそかのをけら詣りでも有名です。
更新日:2016年6月14日
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もともとは祇園社(ぎおんしゃ)、感神院(かんしんいん)といい、八坂神社という名前は明治になってからつけられたものです。7世 …[続きを読む]
更新日 : 2016年6月14日
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むりんあん無鄰菴
明治・大正の元老(げんろう=明治後期から昭和初期にかけて、天皇を補佐した政界の最高首脳)・山県有朋(やまがたありとも)が明治中期に京都に造った別荘です。庭園は山県自らが設計、有名な造園家・7代目小川治兵衛(じへい)によって作庭されました。疏水の水を巧みに取り入れ、東山の借景をいかした庭園は、ゆったりした気分にひたれます。昭和26年国の「名勝」に指定されました。洋館は、伊藤博文らによる日露戦争開戦直前の「無鄰菴会議」が開かれたことで知られます。
更新日:2019年4月1日
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- 名所・旧跡
明治・大正の元老(げんろう=明治後期から昭和初期にかけて、天皇を補佐した政界の最高首脳)・山県有朋(やまがたありとも)が明 …[続きを読む]
更新日 : 2019年4月1日
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みなみざ南座
四条大橋東詰めにある南座は、建物は何度も建て替えられていますが、桃山風破風(ももやまふうはふ)造りの建物で、国の重要文化財に指定されている日本最古の劇場といえます。出雲阿国(いずものおくに)が鴨川の四条河原で始めた「かぶき踊り」は、人々の人気が高まるにつれ常設の芝居小屋で演じられるようになり、江戸初期には7つの芝居小屋で上演されていました。幕末には北座と南座が残り、明治中期には現在の南座だけが歌舞伎興行の場となりました。毎年12月に顔見世興行が開かれ、役者の名前を勘亭流(かんていりゅう)の書体で書いた看板「まねき」は京の冬の風物詩になっています。
更新日:2007年3月15日
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- 名所・旧跡
四条大橋東詰めにある南座は、建物は何度も建て替えられていますが、桃山風破風(ももやまふうはふ)造りの建物で、国の重要文化財 …[続きを読む]
更新日 : 2007年3月15日