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みょうしんじ妙心寺
室町時代の初め、1342年花園上皇が関山慧玄(かんざんえげん)を招いて開いたお寺です。応仁の乱で多くの堂塔を焼失しましたが、武将細川勝元(ほそかわかつもと)らの援助で再興しました。その後、豊臣、徳川家をはじめ諸大名が信仰するようになり栄えました。南から三門、仏殿(ぶつでん)、法堂(はっとう)などの伽藍(がらん)が並びます。法堂の天井には狩野探幽が描いた雲龍図があります。国宝の黄鐘調鐘(おうじきちょうしょう)や重要文化財に指定されている明智風呂(あけちぶろ)と呼ばれるむしぶろ形式の浴室(よくしつ)が今も残っています。
更新日:2020年10月16日
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室町時代の初め、1342年花園上皇が関山慧玄(かんざんえげん)を招いて開いたお寺です。応仁の乱で多くの堂塔を焼失しましたが …[続きを読む]
更新日 : 2020年10月16日
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しょうれんいん青蓮院
天台宗の門跡寺院で非常に格式が高く、粟田御所(あわたごしょ)と呼ばれました。天明の大火(てんめいのたいか)の時に天皇が避難したこともあります。このお寺で出家した親鸞聖人お手植えと伝わる樹齢800年の大きな楠(くすのき)は京都市の天然記念物に指定されています。宸殿(しんでん)、小御所(こごしょ)、本堂(ほんどう)が並んでいます。庭園は裏山の景色を取り入れた龍心池(りゅうしんいけ)と、築山(つきやま)のある池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)です。
更新日:2018年10月2日
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天台宗の門跡寺院で非常に格式が高く、粟田御所(あわたごしょ)と呼ばれました。天明の大火(てんめいのたいか)の時に天皇が避難 …[続きを読む]
更新日 : 2018年10月2日
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ひがしほんがんじ東本願寺
1602年徳川家康から土地を与えられた教如上人が、東本願寺を建てました。御影堂門(ごえいどうもん)をくぐると、中央に御影堂があります。高さ38メートル、広さたたみ927枚分という世界最大級の木造の建物であり、親鸞聖人(しんらんしょうにん)の御真影(木像)を安置しています。その南側には本堂・阿弥陀堂(あみだどう)があり、本尊・阿弥陀如来を安置しています。また、東に歩いて5分くらいのところに石川丈山が作庭した飛地境内の庭園「渉成園(しょうせいえん)、別名 枳殻邸(きこくてい)」があります。
更新日:2018年7月23日
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1602年徳川家康から土地を与えられた教如上人が、東本願寺を建てました。御影堂門(ごえいどうもん)をくぐると、中央に御影堂 …[続きを読む]
更新日 : 2018年7月23日
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とよくにじんじゃ豊国神社
豊臣秀吉(とよとみひでよし)をまつる神社で、「ほうこくさん」とも呼ばれています。秀吉は死後、東山の阿弥陀ケ峰の山頂に葬られました。翌年にその山腹に社殿が建てられました。豊臣家が滅亡すると江戸幕府によって取り壊されますが、明治になって政府は、秀吉の功績を称えて現在の場所に豊国神社を新しく建てました。本殿前の唐門は伏見城の門を移したものといわれ、国宝です。柱や扉に鶴や鯉など見事な彫刻が施され、桃山文化の華やかさを実感できます。
更新日:2018年6月28日
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豊臣秀吉(とよとみひでよし)をまつる神社で、「ほうこくさん」とも呼ばれています。秀吉は死後、東山の阿弥陀ケ峰の山頂に葬られ …[続きを読む]
更新日 : 2018年6月28日
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ようげんいん養源院
豊臣秀吉(とよとみひでよし)の側室淀殿(よどどの)が、父の浅井長政(あさいながまさ)の霊をとむらうために建てた寺院。その後、火災に合い、徳川秀忠(ひでただ)が夫人崇源院(すうげんいん=淀殿の妹)の願いにより、伏見城の一部を移したのが今の本堂。本堂廊下の天井には、伏見城落城のときに廊下で自刃した武士の血のあとが残り、天井に貼って「血天井」といわれています。俵屋宗達(たわらやそうたつ)が描いた杉戸絵や狩野山楽(かのうさんらく)の襖絵(ふすまえ)なども有名なので見てみよう。
更新日:2018年6月21日
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豊臣秀吉(とよとみひでよし)の側室淀殿(よどどの)が、父の浅井長政(あさいながまさ)の霊をとむらうために建てた寺院。その後 …[続きを読む]
更新日 : 2018年6月21日
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ちしゃくいん智積院
豊臣秀吉(とよとみひでよし)が、3歳で亡くなった長男・鶴松(つるまつ)を弔うために建てたお寺が起こりとされています。何度も災害にあいましたが、1600年に建て直された際、「智積院」と名付けられました。桃山文化を代表する美しい障壁画と庭園で知られています。中でも、長谷川等伯(はせがわとうはく)らによって描かれた「桜図」「楓図」は国宝に指定され、わが国最高の名作のひとつとされています。
更新日:2018年6月21日
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豊臣秀吉(とよとみひでよし)が、3歳で亡くなった長男・鶴松(つるまつ)を弔うために建てたお寺が起こりとされています。何度も …[続きを読む]
更新日 : 2018年6月21日
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ほうじゅうじ法住寺
後白河法皇の遺骨が納められた法華堂を守ると同時に、身代わり不動尊に対する信仰を集めてきました。明治に後白河天皇陵とお堂が国の管理となり、寺が分離されました。この地は後白河法皇の御所である法住寺殿(どの)があったところ。三十三間堂、新日吉神社、新熊野神社が立ち並ぶ広大なもので、木曾義仲に攻められたこともあります。法皇は、源頼朝から「日本一の大天狗」と皮肉られるような策謀家である半面、芸能を好み、今様を集めて『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』を編集した文化人でした。
更新日:2018年6月21日
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後白河法皇の遺骨が納められた法華堂を守ると同時に、身代わり不動尊に対する信仰を集めてきました。明治に後白河天皇陵とお堂が国 …[続きを読む]
更新日 : 2018年6月21日
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にしほんがんじ西本願寺
鎌倉時代の初め親鸞聖人(しんらんしょうにん)が亡くなり、東山の大谷に納骨され、これを娘の覚信尼が東山吉水の北の辺りに堂を建て、親鸞像を安置した大谷廟堂にはじまります。室町時代の8世蓮如(れんにょ)が、浄土真宗の教えを「御文章」(御文)という形で表現して大衆に受け入れやすくし全国に広がりました。御影堂(ごえいどう)と阿弥陀堂はともに国宝。国宝の飛雲閣(ひうんかく)は秀吉が作った聚楽第(じゅらくだい)の遺構(いこう)≪古いまま今も残っているもの≫とも伝えられています。大書院の庭園は虎渓(こけい)の庭とよばれる枯山水(かれさんすい)の名庭です。平成6年に世界遺産に指定されました。
更新日:2018年6月21日
- 〒600-8358 京都市下京区堀川通花屋町下ル
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市バス「西本願寺前」下車徒歩すぐ
- TEL: 075-371-5181
- URL: http://www.hongwanji.or.jp/
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【時間】5時半〜17時
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鎌倉時代の初め親鸞聖人(しんらんしょうにん)が亡くなり、東山の大谷に納骨され、これを娘の覚信尼が東山吉水の北の辺りに堂を建 …[続きを読む]
更新日 : 2018年6月21日
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とうじ東寺
別名、教王護国寺(きょうおうごこくじ)といいます。796年に桓武(かんむ)天皇が平安京をつくる際に国を守る建物として建てられ、823年に空海(くうかい)のちの弘法大師(こうぼうだいし)に与えられました。重要文化財である講堂には、大日如来(だいにちにょらい)を中心に国宝の五大明王(ごだいみょうおう)など21体の仏像が安置されています。また、境内には高さ約55メートルのわが国最大の五重塔(国宝)があります。平成6年には世界文化遺産(せかいぶんかいさん)に登録されました。
更新日:2018年6月21日
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別名、教王護国寺(きょうおうごこくじ)といいます。796年に桓武(かんむ)天皇が平安京をつくる際に国を守る建物として建てら …[続きを読む]
更新日 : 2018年6月21日
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とうふくじ東福寺
鎌倉時代の初め、摂政の九条道家が都最大の寺を造ろうと、寺の名前を奈良の東大寺(とうだいじ)と興福寺(こうふくじ)にならって、東福寺と名付けられました。大伽藍(だいがらん)で有名でしたが、多くは明治14年の火災で失いましたが、三門(国宝)を初め重文の浴室、東司(とうす=便所)、禅堂など室町時代の禅僧(ぜんそう)の生活を知るための貴重な建築が残っています。境内の通天橋(つうてんきょう)はモミジの名所としても有名です。
更新日:2018年6月21日
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鎌倉時代の初め、摂政の九条道家が都最大の寺を造ろうと、寺の名前を奈良の東大寺(とうだいじ)と興福寺(こうふくじ)にならって …[続きを読む]
更新日 : 2018年6月21日